文藝碑(讃岐)

早苗塚

早苗塚 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 はせを

オーシャンブルー、野朝顔

オーシャンブル―↑ 野朝顔↓ 一口にはいきません

雨に濡れた連句碑

連衆17名の歌仙碑・17回忌供養碑 お粗末でしたというべきところ 色の滲みでも歎賞するか

村尾次郎先生仮寓跡

〔所在地〕 香川県観音寺市豊浜町(大平総理出身地) 留魂像建設委員長 村尾次郎 心の宿題を果して 陸軍船舶幹部候補生隊は、昭和十九年四月二十九日に広島の宇品から豊浜へ移ってきました。そのとき、私は候補生の一員でした。八月に卒業して見習士官になり…

予讃線ローカル列車

予讃線ローカル列車通り過ぐ 泡立ち草に蝶来たる刻 雅舟 セイタカアワダチソウ 虚仮にしてはなりませぬ かくも清しき「安心」の花

河東碧梧桐の句碑

香川県三豊市仁尾町に建てられている河東碧梧桐の句碑 一艘は出た 亀島めぐる 櫓声も遠に 亀島=蔦島

雫にもならで消けり別れ霜  竹甫

江戸時代 名もなき人の 墓碑横に 刻まれし辞世の 句が読めました 雫にもならで消(え)けり別れ霜 竹甫 (観音寺市大野原町慈雲寺墓地) 人の命のはかなさをなにげなく詠んだ辞世の名句ではないでしょうか

マーガレットの祖母の父俳人支樗

大久保良は門脇隆三の長女。マーガレットが好きだった私雅舟居士の祖母 明治期の地方俳人 門脇支樗(本名 隆三)墓碑は観音寺市大野原町萩原にある。 金毘羅裏参道側に芭蕉の句碑「花の陰硯にかはる丸瓦」建立者の一人。

創作「文芸紙碑」

菊地寛記念館での講演 (12月7日)「創作文芸紙碑」 菊地寛記念館文芸講座 創作「文芸紙碑」 剣持 雅澄 平成二十五年十二月七日(土) サンクリスタル高松 はじめに 昨年の郷土「文学碑」調査考察に続いて、今回は「文芸紙碑」をテーマにして、その創作的表現を…

紙碑新作

年賀状に添える万葉集賀歌(雅歌)はいかがですか。 平安時代になって古今集など勅撰集から賀歌はまとめられましたが、 奈良時代の万葉集では、そんな部立はありません。私の独断で選びました。

文化勲章「赤のまま」でお祝い

お前は歌うな 赤ままの花や… 中野 重治 (有名な詩の初句) 露草や赤のまんまもなつかしき 泉 鏡 花 (この作家の辞世句) 赤のまま命のままに枯れはてよ 中西 藻城 (中西進先生の亡父辞世) 讃岐野の赤のまんまで言祝がむ 剣持 雅舟 (先生への祝い拙句)

創作「文芸紙碑」

はじめに ここでは、作品論・作家論というような研究的文学論を展開しない。創作的表現についての試論というべきか。 基本的には、何か表現したいきっかけ、制作動機(モチーフ)があって初めて次の段階に進展していく。漠然とした曖昧模糊なものから、突き動…

校訓は人生訓

意味深長な校訓があり、人生訓になりそうだ。 弗為胡成 (為さずんばなんぞ成らん) 伊尹 「介」の意味は? 和(なごやか) 介(ひとりだち) 健(すこやか) ↓ (なかだち)ではありませんぞ

乃木希典の七言絶句

凱 旋 乃木希典 皇師百萬征強虜 皇師百萬強虜を征し (皇師=天皇の率いる軍隊) 野戦攻城屍作山 野戦攻城屍山を作(な)す 愧我何顔看父老 我を愧(は)づ何の顔(かんばせ)ありてか父老に看(まみえ)む 凱歌今日幾人還 凱歌して今日幾人か還る ○○●●○○● ●●○○○●○ ●●…

虚子句碑

春潮や海老はね上る岩の上 高浜虚子 観音寺市立一の谷小学校校庭 (この小学校にこの句碑がある必然性はないように思われる) 虚子は讃岐観音寺へ二度来ている。そのときの句とその後依頼句、合わせて 虚子の観音寺関連句は、次の8句に限定される。 第一回 大…

起承転結、文芸紙碑のススメ

文藝講座「紙碑」のエッセンス

しひ 【紙碑】 世に知られていない物事や、世に埋もれた人の生涯・業績などを書いた文章。(『大辞林』) 無名の文芸愛好家が書いた詩文を載せた地方の同人誌などは、これに該当する。広く価値を認められていない埋もれた存在。陰ながら存在を主張している点…

讃岐文芸紙碑で扱うこの七人

「2/2 菊池寛記念館 讃岐文芸講座で取り上げるテーマ」 ★反戦(はんせん)思想…その時代にどう立ち向かったか。 島木健作(転向文学)「生活の探求」 滝口春男…思想犯で検挙、その後従軍・兵役義務に従う。 森川義信…ビルマ ミートキーナで戦病死。 高橋和巳……

文芸紙碑

讃岐(香川)文芸紙碑

高橋和巳の先祖

香川県三豊郡柞田村下出、この辺りが高橋家が大正時代まで住んでいた農村地帯。 祖父より以前の墓碑は、金剛禅寺に無縁仏として収められている。 祖父の代に、柞田村下出から、ここ観音寺町に移住、薬師湯を始めた。 間もなく大阪へ一家転住する。

讃岐文芸紙碑

今回の「讃岐文芸紙碑」で取り扱う人の吟味 紙碑=世に知られていない物事や世に埋もれた人の生涯・業績などを書いた文章。 世=世の中(全国~地方)に見解の相違がある。 ①高橋和巳…三島由紀夫・大江健三郎に準じて高く評価される作家。 「紙碑」として取り…

詩人塔和子「記憶の川で」

塔 和子 (詩人) 1929年(昭和4年)愛媛県生まれ。1941年ハンセン病を発病。1943年香川県大島青松園に入所。1957年ころから詩作を始め、1961年に初の詩集『はだかの木』を出版。1989年ドキュメンタリー作品『不明の花 塔和子の世界』放映。2003年、ドキュメンタ…

ハンセン病文学作品

~碑ではなく紙碑である~ 2013年2月2日 菊池寛文芸講座のテーマ テーマ1 ハンセン病文学 ①島比呂志「奇妙な国」 『奇妙な国』(1959年発表)は評論家川村湊によって「北条民雄の『命の初夜』以来の秀作」と激賞された。一見ユーモラスな語り口であり…

香川文芸紙碑

現存する「文学碑」ではなく、観念としての「文芸紙碑」

真砂松韻先生『句集米寿』上梓される。

香川俳壇の重鎮、真砂松韻先生がこの度、米寿を記念して、第三句集『米寿』を上梓されました。昭和35年、小豆島土庄高校へ新任教師で赴任したとき、机を並べており、御句「ホトトギス入選十句」を文芸部の「翠雲」に載せさせていただきました。以来、半世紀…

開戦時、あなたはどこにいましたか?

昭和16年12月8日、あなたはどこにいましたか? この世に存在していたならば、それをお知らせください。 ここに一人の男がありました。「死んだ男」です。 鮎川信夫に「死んだ男」という名詩に詠まれた男 詩中では「M」と呼ばれた、実名森川義信を紹介してお…

菅公さん「天神さん」虚像と実像

【虚像】としての天神さん 菅原道真をお祭りする「天神さん」は全国にわたり、12000社余りある。そのほとんどは学問の神様として祀られている。元来、道真にまつわる怨霊封じに始まり、天の神・天神となり、農耕神としての信仰にもなってきた。 我が郷土観…

早苗塚の庄司句碑二基

芭蕉早苗塚の前庭に天保十一年建てられた庄司良助・吉五郎の句碑 まだおくのあるやど注ぐ苔清水 庄司良助 梅の花残れる園や早桜 庄司吉五郎