2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧
550 南無庵宗道の撰 ・の友・に友毒もなかり鳬 茂身
549 南無庵宗道の撰 我か山も知らぬ果報や菌狩 茂身
548 姉と名の付ておとなしに雛の前 葦洲
【改訂 柞田いろはかるた】 平成24年 [い]一輪車柞小児童は曲芸子 [ろ]老人を支える柞田青少年 [は]ハハソハかクヌギか柞田名の言われ [に]にっこりと柞田の人は皆笑顔 [ほ]ぼけ封じ観音尊は延命寺 [へ]平和観音軍人墓地のご本尊 [と]十の自治会柞田甲乙丙(…
547 客の名を供ふる木の芽の無心哉 葦洲
546 うぐひすの胸列まとめて初音かな 葦洲
545 一夜庵たつね・りて 蓑虫ハ友にかりきてなくいほり 杜員
(く)柞田っ子正しく明るくたくましく (た)確かなる根拠もなくて柞田城址 (は)ハハソとは柞田の柞のいわれとか
544 秋ちかき山ハ琴ひき一夜庵 舎羅
543 五十年や槿の花の一夜庵 作州福後江田氏九卯
542 題一夜庵 霊月風花一夜庵 白雲深処思悠然 万般佳景不吟尽 多少遊人空往還 竹林庵賢我
新柞田いろはかるた(抜粋2) [い]一輪車柞小児童は曲芸子 [は]ハハソハかクヌギか柞田名の言われ [へ]平和観音軍人墓地のご本尊 [ぬ]ぬかずくは豊作祈る地神さん [よ]幼稚園保育所もある天王丘 [ら]欄干や柞田川には橋六つ [む]昔浜今埋められて干拓地 [う…
河川敷 紋白蝶や 草の花
昔浜今埋められて干拓地 柞田と花稲の境を流れる川
【改訂 柞田いろはかるた】 平成24年 [い]一輪車柞小児童は曲芸子 [は]ハハソハかクヌギか柞田名の言われ [へ]平和観音軍人墓地のご本尊 [ぬ]ぬかずくは豊作祈る地神さん [よ]幼稚園保育所もある天王丘 [う]うがみ神社蓑着て回れば雨が降る [て]天井に檀…
卵抱く生きたガザミをもらひけり
【改訂 柞田いろはかるた】 平成24年 [い]一輪車柞小児童は曲芸子 [ろ]老人を支える柞田青少年 [は]ハハソハかクヌギか柞田名の言われ [に]にっこりと柞田の人の温かさ [ほ]ぼけ封じ観音様は延命寺 [へ]平和観音軍人墓地のご本尊 [と]十の柞田自治会なごや…
柞田いろはかるた [い]いろいろのおばけ話はお松っさん [ろ]炉を囲み四方山話は大西さん [は]藩政の時代は塩田向入の浜 [に]握り飯神に供えて日の出待ち [ほ]ぼけふうじ観音様は延命寺 [へ]平和観音軍人墓地のご本尊 [と]十の集落で競いはずみし運動会 [ち]…
541 竹伐て庵一はいの月夜哉 碧山
540 ふと讃岐の人にあひて 郭公遠音をさすや雲辺寺
539 一夜とてなつかしき戸やほとときす ・水
山ぢさの白露重みうらぶれて心も深く我が恋止まず (巻11ー2469) 山萵苣 白露重 浦經 心深 吾戀不止
『俳聖芭蕉と俳魔支考』 (角川選書) 堀切実著 芭蕉と支考が師弟として過ごしたのはわずかに4、5年であるが、芭蕉が俳聖と崇められた背景には、蕉門十哲の一人、各務支考の果たした大きな役割がある。 都市中心に蕉風を広めた其角と対照的に、支考は蕉風を全…
観音寺市柞田(くにた)町の「柞」とは? 観音寺市立柞田小学校校庭に植樹されている「柞」三種類 ①ハハソ ②クヌギ ③イスノキ 以上三説あるが、①は字体から、②は発音から、③は植物分類学からの説 郷村「柞田」の地名の呼び名は 「クヌギタ→クニイタ→クニタ」…
『万葉集』の「あやめ」は今花盛りのアヤメではなく下記のあやめぐさ(菖蒲草)のこと。 残念ながら、このアヤメではない。 霍公鳥待てど来鳴かず菖蒲草玉に貫く日をいまだ遠みか 大伴家持 (巻8-1490)
姫檜扇 文目(あやめ)科 学名 Anomatheca cruenta (ぬばたまの)この夜な明けそ赤らひく朝ゆく君を待たば苦しも 万葉集(巻11-2389) 柿本人麻呂歌集 射千(ひおうぎ)の花のふふまる頃となり山ほととぎすいまだきこえず アララギ派歌人 斉藤茂吉
妹が見しあふちの花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに 大伴旅人 万葉集 (巻5ー798) あふち(楝)=栴檀(センダン) 樹周り3㍍の楝 (観音寺市柞田町黒渕橋南詰) 橋姫の待つ黒渕の花楝 雅舟
『更級日記』の作者 『源氏物語』に没頭 かくのみ思ひくんじたるを、心も慰めむと、心苦しがりて、母、物語など求めて見せたまふに、げにおのづから慰みゆく。紫のゆかりを見て、続きの見まほしくおぼゆれど、人語らひなどもえせず。たれもいまだ都慣れぬほ…
538 梅香て星を手折し雲辺寺 湖隣
537 ・の雪や海水に出て有明浜 ・・