創作「文芸紙碑」

       はじめに
ここでは、作品論・作家論というような研究的文学論を展開しない。創作的表現についての試論というべきか。
 基本的には、何か表現したいきっかけ、制作動機(モチーフ)があって初めて次の段階に進展していく。漠然とした曖昧模糊なものから、突き動かす焦点の定まったまであるだろうが、中心主題(テーマ)明確にしておかねば始まらない。
 一般的には、散文及び詩の場合に使っているが、俳句や短歌でテーマというのはなじまない。季節詩俳句では「季題」が作品の焦点になるが、これが即主題とは言えまい。ただ、日本の伝統文化、文学ジャンルの中で占める「季語(季題)」の意味するものは、貴重な存在であるにちがいない。短歌においては古来このような制限なく自在な表現を当然のようにしてきたものと比べると、日本人の季節感的諷詠を重んじる国民性を認めねばなるまい。季語を解説し、例句を集めた『俳句歳時記』は、最も日本的なものであり、誰でも俳句を詠めるテキストになっている。その簡単なものとして『季寄せ』でもポケットに、句帳も合せて持っていれば、単なるウォークより楽しく、実のあるものになろう。
 更には、仲間と連句でも巻くことができれば、高踏的ではあるが、趣味を超えて文芸の醍醐味を満喫できようか。
 
 ①方法論としての「紙碑」
  石碑(いしぶみ)が、本来外に建てられ、世間一般の人目にさらすものとしての役 割を果すのに対して、紙碑は存在を主張しないところで個人的に書かれて謙虚に 公表される。個人の内密に属するものではなく、半ば他者に理解される意図をも  つ。日記・手紙の私信とは一線を画する。堂々とした発表ではなく、含羞を含んだ 自己表現である。
  スタンダードな形式としては「起承転結」の四段構成、四角柱、四曲屏風に安定  性がある。春夏秋冬の循環性のもの、輪廻転生と、一人の一生「生老病死」完結  性とがある。
 
 ②創作的作品としての「紙碑」
   建てることに関しては、机上に立てて身近な者だけが享受・鑑賞する。伝達・報  告の実用的なものではなく、文学として感動・鑑賞される。小宇宙的に自己主張  しているのかもしれない。目に見える紙碑としてでなくても、比喩的に、謙虚と矜  持を共にもつ創作(オリジナル作品)である。並べられ、積み上げられる、単なる   書籍以上の(あるいは、以下の)ものとして自己創作作品を意味づけようとしてい  るとも言える。