万葉集
香川県三豊市山本町菅生神社門柱左右に『万葉集』歌一首ずつが刻まれている。 たらちねの母に障らばいたづらに汝も吾も事成すべしや (巻11ー2517 作者未詳) 中臣の太祝詞を言ひ祓へ贖ふ命も誰が為に汝(巻17-4031 大伴宿祢家持)
dj,:y 人麻呂はどこで死んだか? 柿本人麻呂は、石見国に役人として赴いた。石見の妻、依羅娘子(よさみのいらつめ)への思いを詠んだ相聞歌を万葉集に残し、「鴨山の」の題詞に「石見国で死に臨んで作った歌」とあるものの、終焉の地は定かでない。 昭和の初…
私 の 試 作 ~万 葉 歌 絵~ 筆ペンで万葉の歌書いてみる そのうちに自らの歌も出て来る
万葉の歌を描いてみるのも楽しいものです。
万葉人、その暮らしの歌の中に思いやりのひたむきさを読みとろう。
ご存じですか 鼠刺しの「ネズ」の木 高さ 18メートル 幹周り 4メートル 日本で2位とか
巻4(618~636) 万葉仮名で万葉の原典を読む楽しさ
馬・駒、どちらも使われている。
土佐の万葉学者 鹿持雅澄 その名にあやかりし不肖 剣持雅澄 (讃岐の似非万葉学者) 天保七年、鹿持城趾に鹿持座神社を造営した。先祖を敬うことにおいて人後に落ちない雅澄が、気がかりにし続けてきたものだった。雅澄の九代前の雅康が初めて土佐に移って来た…
●讃岐を詠んだ万葉歌 讃岐(さぬき)の狭岑島(さみねのしま)に、石(いは)の中に死(みまか)れる人を視(み)て、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并て短歌 玉藻(たまも)よし 讃岐(さぬき)の国は 国柄か(くにから)か 見れども飽(あ)かぬ 神柄(かむか…
『万葉集』では「相聞」の歌と称される。 拙い手書き試作
ただ花を歌うに非ず 下思ひ花に託して告白している 万葉人
万葉集は愛の歌「相聞歌」
率直、大胆に、思いに丈を詠った国民歌『万葉集』をひもとく。 自分で書いてみると、万葉恋の再体験ができる贅沢。
万葉の歌は大方相聞と思っておれば間違いがない
万葉集雑歌のうち 叙景歌
万葉相聞歌
近江宮は、飛鳥時代に天智天皇が近江国滋賀郡に営んだ都。天智天皇6年(667年)飛鳥から近江に遷都した天皇はこの宮で正式に即位し、近江令や庚午年籍など律令制の基礎となる施策を実行。天皇崩後に朝廷の首班となった大友皇子(弘文天皇)は天武天皇元年(…
万葉の旅のつもりで歌絵描く 『万葉集』全20巻4516首、上掲のように色紙に書きました。
駅 鈴 律令制で駅馬を利用する時に携行を必要とする鈴。中央官庁と地方国衙に備えてあって、使者の位に応じた剋数によって人馬を調達した。使者はこれを鳴らしながら往来した。 『延喜式』巻4「伊勢大神宮」に 「凡そ駅使大神宮の堺に入らば、飯高郡の下樋…
①目・人の見る目 旦戸を速く莫開けそあぢさはふ目が欲る君が今夜来座せる(巻11-2555) 人目多み眼こそ忍ぶれ少くも心の中に吾が念はなくに(巻17-2911) ②目・間 吾が背子が著せる衣の針目落ちず入りにけらしも我が情さへ(巻4-514) ③目・表示 一二之目 耳不有 …
『万葉集』には新年祝賀の歌をまとめられていませんが、 次のような歌を新年寿歌とすることができるかもしれません。 正月(むつき)立ち春の来たらばかくしこそ 梅を招(お)きつつ楽しきを経め(巻5ー815) 新しき年の初めに豊の年 徴(しる)すとなら…
万葉の紅葉(黄葉)輝く下にして『万葉集』を共に読むなり 万葉の「もみち」は全て「黄葉」と書く習ひ等知悉してをり 香川県三豊市高瀬町中央公民館の教養講座 万葉講座はこの二階で毎月第一水曜、13時~15時 これまで10年間続けてきました。
西本願寺本『萬葉集』巻一 藤原宮の建物の瓦は宗吉瓦窯から運んだことに思い入れしながら 12月2日万葉講座の藤原京の歌は臨場感の伴ったものになるはず。
藤原宮の役民(えきのたみ)の作れる歌 『万葉集』巻1-50 やすみしし わご大王(おほきみ) 高照らす 日の皇子 荒栲(たへ)の 藤原がうへに 食(を)す国を 見(め)し給はむと 都宮(みあらか)は 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地(あめつち)も…
明石市の展望台より見下ろせば子午線があり人丸前橋も 子午線に人丸前駅を見つけたり明石の旅はこれに極まる
明石海峡と人丸 ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋かくれゆく舟をしぞおもふ 柿本人丸