#詩

戦争未亡人

母逝きて半世紀 剣持雅澄 母は戦争未亡人として戦後二十二年を生きて、六十三年の生涯を閉じた。三人の子を女手一つで育てあげ、そそくさと父の元に旅立っていった。 子供に教育をつけること、大学を卒業させて教師にさせることを念じていて、子供達もその…

海の見える風景

海の見える風景 剣持雅澄 すぐ向うに海の見える風景。それはどこであっても、彼の心をときめかすものだった。山は遠くに見える野の真只中に育った彼は、恋人のように海に飢えていた。 新任地が小豆島であったことは、彼を何より喜ばせた。三年間、瀬戸内海…

葡萄の美酒 夜光の杯

昔人はいい酒を飲んでいた。 葡萄美酒夜光杯, 欲飲琵琶馬上催。 酔臥沙場君莫笑, 古来征戦幾人回。 (葡萄の美酒、夜光の杯。飲まんと欲すれば、琵琶馬上に催す。 酔うて沙場に臥す、君笑うことなかれ。古来征戦幾人か回る) 盛唐の詩人王翰の「涼州詞」と…

恩師を弔って

秋の晴れた日に 中学3年の時の担任H先生が亡くなって、今日葬儀に行った。87歳になっていたようだ。健康でスマート、女子生徒の憬れの的だったが、一人の教え子と在学中結婚したことで、妬みと批判の対象にもなった。桐壷の更衣が同僚の女房達に汚物を廊下に…

争いを好まず

~黙って優雅に生きる~ 彼は争いを好まない少年だった。父もいない、兄弟もいない。家族は母と姉たちだったので、めめしく育っていった。彼の家は父が戦死した母子家庭であった。 世の中に出れば、男は七人の敵がある、などという諺を母はもらしていたが、…

父母のこと

父のこと、母のこと 父は四十四歳で戦病死した。昭和二十一年三月十二日、満洲奉天(現在、瀋陽)で引揚げを待っている間に発疹チフスに罹って客死した。遺骨は六月に帰り、八月には小学校で村葬をしてくれた。私は小学校の三年生。祭壇へ焼香に上ったのは、…

豹紋蝶

誰がために豹紋誇示するや蝶の成り 雅舟 豹紋はここを先途として棲みぬ 雅舟

小説「芭蕉来讃夢」

この度小冊子『芭蕉来讃夢』 を発行いたしました。 生前芭蕉は四国讃岐に渡って来ておりませんが、仮に渡って来たならばという想像をして書いたものです。普通の小説は、虚実綯い混ぜて、フィクションというジャンルに属するものですが、この作品はやはりそ…

東大病

灯台病(とでもしておこう) 彼はH大学(政令指定都市・国立)の入学式で宣誓をした。入試成績が、入学生1000人の中でトップだった。卒業式でも答辞を読んだ。中学・高校時代からH県の実力テストでもずっとトップだった。ただ、全国では200番くらいであった。…

残る言葉はあるか

プロデュースする言葉 日常話されている言葉は消えていく 泡のように、跡をとどめず消えていく それでいいのかもしれないのだが せめて五年でも自分の生きている間は あの人の言葉だと思われたくて それさえ無理であるかもしれないが 印象深い言葉が使えてい…

忘れえぬ人々

国木田独歩に「忘れえぬ人々」という作品があった。若い頃読んで感銘を受けた。その作品の一部を抜粋しておきたい。 『その次は四国の三津が浜に一泊して汽船 便を待った時のことであった。夏の初めと記憶しているが僕は朝早く 旅宿を出て汽船の来るのは午…

蜻蛉(トンボ)ではなく、逃亡(トンボ)

逃亡(とんぼ)せし教師も今は異郷にて鬼籍に入ると伝え聞きたり 「知性と感性、どちらも大切です。五分五分、いや六四で、少し感性に比重があった方がいい」などと言っていた高校三年のときの国語教師。とんぼ(逃亡の方言)して教え子と駆落ちをした。育ち盛…

寄生地主

寄生地主 寄生地主とは,小作農民に土地を貸し付けて地代(小作料)をとることを主としている地主経営の総称である。この寄生地主的経営、地主―小作関係が,農業における支配的・基本的な経済制度として,農業・農民の動向を左右する体制になっているとき,それ…

水車(すいしゃ・みずぐるま)の俳句

その上を蛍飛ぶ也水車 正岡子規 ひっそりと水車の村の火の車 高澤晶子 まひまひや菖蒲にあさき水車尻 飯田蛇笏 ゆふがほや淡汲かけて水車 園 女 トンカラリンと水車の遊ぶ芽木の山 小口みち子 三日月やはつれはつれの水車 正岡子規 与謝村の与謝の小川の芋水…

戦後70年

(1)戦後70年は平成27年(2015年) 終戦の年は昭和20年。戦後70年とは、昭和が続いていたならば、昭和70年(2015年)になる。今年は平成26年(2014年)で、来年早くも戦後70年となる。 戦後は50年で終わったと言うのが通念で、戦後60年の時は意識する人が少なくなっ…

無題(三十)

日記には嫌なことは書かない。楽しかったことしか書かない。普通、日記はその日あったことを偽らず書くものとされているが、(極端に言えば)うそでもいいから楽しいように書く。それが自分の人生の始まりであったと言う。 蝿が一匹一人住まいの部屋に入ってき…

没落の風景

祖 母 の 夢 母方の祖母の夢を見ることが多い。なぜか母よりも祖母の夢をよく見る。母が里帰りするとき、付いて行くと大事にしてくれた、懐かしい思い出。夏ならば、井戸に吊り下げていた冷えた西瓜を食べさせてくれたり、冬ならば、餅を焼いて食べさせてく…

無題(二十九)

男「なんでそんなに大きく眼を見せないといけないんだ」 女「ま、ひどい。女の人は誰だってぱっちりした眼でありたいわよ」 男「それはそう。分からんではないけど、そんなに見せてどうなるっていうんだ。美しく見せようたって、付け睫毛だってよけいなもの…

無題(二十八)

「もっと想像力を豊かにね」とその時彼女に言われた。 「ありのまま事実や体験を書いたってどれほどの意味がある?」 ということの裏返しだと思い、彼は自分の作品を評価してくれなかったと悟った。 あれはいつの日だったか、そんなことは何十年も何百年も前…

無題(二十七)

戦時中のことである。少年は叔父夫婦に育てられ、食べるものも十分与えられなかった。父親が放火の上、少年を遺して自殺したのだった。 僕の家には大きな梅の木があって、落ちた梅の実はそのまま腐らすのだか、その少年はある日、「この梅、拾わしてくれる…

無題(二十五)

「空襲による家や工場の消失、敗戦による少年なりの精神的空白の媒介がなければ、恐らく私は文学への道は歩まなかったであろうと思われる。」 高橋和巳の「私の読書遍歴」中の一文である。 大阪の大空襲によって父母の里四国へ疎開し、終戦の翌年再び焦土の…

無題(二十四)

人は時に、アイデンティティーを渇望する。拠って立つ基盤。自分は今、どこに立ち、ゆるぎない地歩を固めているのかどうかということを。それは先祖から譲られた土地ではない。貧農の小作の家に生まれた自分は、徹底的に搾取してきた地主を嫌い、今なおその…

無題(二十三)

「お化粧って、男をだますんじゃない?」 「あんた、そんなこと言ってたら、女の人からそっぽ向かれますよ」 「いいよ、そんなにまでして男に気に入られようとするのは、サモシイな。いや、サミシイな」 「でもいいの。お化粧するって、若い証拠なのよ。おば…

無題(二十二)

「何を考えているんだ。何もせずに、ぼんやりと」 こんなことを言ってもらえないと、人間は腐ってしまう。暇があったら、何かする。手を動かす。足を動かす。 ちょっと聞き耳を立てる。よ~く耳を澄ましてごらん。昔誰かが言った言葉が聞こえてくるからね。…

無題(二十一)

通常「熱中症」は、暑熱環境下においての身体適応の障害によって起こる症状という。「日射病」とは違い、室内でも発症。高温障害。 本日6月1日から10月18日の期間、熱中症予防情報サイトの情報をもとに個人向けのメール配信サービスを実施するところがある…

無題(二十)

花の名前はなかなか覚えられない。人から聞かれてすぐ答えられないのは恥に思う。デートしているとき、野辺に咲く何げない花の名を聞かれて、すぐ答えられないと気まずくなる。卒業していく子が校庭の隅に楚々と咲いていた花の名を聞かれたことがある。 「こ…

無題(十九)

風景を見ても風景でしかないというのではつまらない。 道すがら展開する風景の中で、これは「小品」になる素材として見て取ることができなければならない。そうは言っても、直ちに筆が運べるわけでない。筆も鉛筆も手に持っていないみじめさ。キーボードを叩…

無題(十六)

二十九歳の母と四歳の子が餓死していたのが発見された。「何も食べさせられなくてごめんね」という書き置きがあった。電気も水道も止められていたらしい。 飽食の日本人よ、よく考えてみよ。食材、食文化などと平気で言える現代日本人が恥ずかしいと思わな…

ペチュニア

安売りのコーナーに置かれ不機嫌さ

無題(十五)

小豆島には馬越という地名があって、その名を聞いただけでロマンを感じる。 「眺めがいいから、先生一度行ってみてください」と教え子に勧められた。 私が島のあちこちの風景画を描いていることを知っている女生徒のことばであった。 島バスと言って、島民…