争いを好まず

        ~黙って優雅に生きる~
 彼は争いを好まない少年だった。父もいない、兄弟もいない。家族は母と姉たちだったので、めめしく育っていった。彼の家は父が戦死した母子家庭であった。
 世の中に出れば、男は七人の敵がある、などという諺を母はもらしていたが、男らしくたくましく育てることはできなかった。男同志の奪い合いをするすべを知らず、優遇されることが当たり前のように育っていった。
 ただ、学校の成績は人より優れていることを期待された。その期待に反することは出来ない意地だけは、人一倍あったので、勉強だけはよくした。
 勉強している彼を見て、女たちは安心した。将来は一家を支える大黒柱になってくれるはずだという期待と安心感があったのである。
 彼は、努力家だった。勉強せずとも成績のいい秀才型ではなかった。強制されて勉強したわけではないが、覚えは悪いが勉強は好きで、いつも机に向かっていた。
 家が貧乏なので、教養を高める書物はほとんどなかった。図書館の本も借りて読んだこともめったになかった。それで、基礎力はあったが、応用力はなかった。程度の高い問題が出ると、まったく手がでなかった。
 塾に通うお金もなく、自分自身そのようにしてまで、名門校に進学するつもりはなかった。英数の力を付けて超一流大学に行くつもりはなかった。
 安い経費で行ける大学で、文学の勉強ができるところならば、それでよかった。高望みをして落されるような進学はしなかった。いい大学に入れるために躍起になる肉身・母校への反抗心が根強く、彼の中に巣食っている。
 東大京大合格何人、国公立大学合格何人ということが、進学校のランク付けにされることに極めて懐疑心をもつ彼であった。
 大切なのは、本人の意志と個性・学力に合致する、その子にふさわしい進路選択なのである。進学校の名誉のために犠牲にされてはたまらない。本末転倒した進学指導は滅び去る方がいい。彼はなけなしの知恵で必死になってその愚劣さに抵抗して生きた人間である。 (言いたくはないが、子孫の自慢をする祖父母の愚劣さにも)
 世に迎合しない、争いを好まない生き方の象徴は、西行芭蕉の漂泊の文学だと彼自身信じて生きて、半世紀になる。世俗の学歴社会に背を向け自然順応の文芸界に生きることこそ、至純の生であることを信じて疑わない彼である。
 彼は華麗に加齢して、優雅に生きて死はいつでも受け入れられる心境にある。