無題(三十)

 日記には嫌なことは書かない。楽しかったことしか書かない。普通、日記はその日あったことを偽らず書くものとされているが、(極端に言えば)うそでもいいから楽しいように書く。それが自分の人生の始まりであったと言う。
 蝿が一匹一人住まいの部屋に入ってきて、その蝿に「良子さん」と名付けて、追いかけるが、なかなかつかまらない。飛んでは止まる。つかまえようとしたら、逃げる。その繰り返しで、とうとう蝿に負けてくたびれてしまった。そのことを話術巧みに話していた。その人は噺家だったかもしれない。
 今朝の「深夜便~明日へのことば」で言っていた。残念ながら、その人が誰かを聞き洩らした。東北弁(津軽弁)を堂々と唱導していた人。いつかの再放送、リクエストであったようだ。とにかく聞き手を飽きさせない、当意即妙の会話術を心得ている人だった。
  さて、検索の労を取ってみると、 「ふるさと津軽に居候」が本日の題名で、その人の名は、マルチタレントの伊奈カッペイであることが分かる。
  さてさて、私の日記は40年続いている。1日1頁、きちんとつまっている。伊奈さんのように楽しいことばかりではない。楽しいことばかり書くのは、不自然である。鬱憤晴らしは日記に限る。公表するのではないのだから。立派な文学者にでもになれば、べつである。そんな心配なく、このまま埋もれてしまうはず。今言う廃棄処分に合う。子どもぐらいは置いておくかもしれないが、その後は保証の限りではない。むしろ処分しておく方がさっぱりする。これまた今言う断捨離だ。
 せっかく書いた40年の日記を自分で焼き捨てる気にはなれないだろう。日記を書いて初めて一日が終わる。この頃忘れることがたまにあるが、次の日には必ず書いておく。
 手当たり次第なのだが、昭和60年10月28日、国会中継のため、随筆放送11月11日に延期、敏行より3時5分過ぎ電話あり。敏行の朗読、聞きたいものだ。叔父の作品を朗読することは、一つの因縁かもしれない。(後略)