俳聖・芭蕉

はせをと合歓

女郎花ほか

芭蕉「奥の細道」

むざんやな甲の下のきりぎりす むざんやな甲の下のきりぎりす はせを この句の初句は、はじめ「あなむざんやな」または「あなむざんや」であった。 「あなむざんやな」は謡曲「実盛」において、樋口次郎が実盛の首級を見ていとしんだ「あなむざんやな、斉藤…

萩・芋・蜻蛉

仁尾句碑2基

亀島とは亀のような形の蔦島 芭蕉死後100年、芭蕉の来ていた風羅衣を道明寺境内に埋納(蕉門指馬)

はせを栗句

芭蕉の栗毬

芭蕉夏~秋句

芭蕉の句

此種を思ひこなさじ唐辛子 芭蕉 鶏頭や雁の来る時なほ赤し 芭蕉

芭蕉の最上川

10月の奥の細道は「最上川」 五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉 さみだれや大河を前に家二軒 蕪村 後藤比奈夫は、その著書『今日の俳句入門』で、「客観写生」とは心で作って心を消すこと、すなわち「作為を捨 てること」を言っている。 五月雨をあつめて早し…

野分前の芭蕉句

野分前 芭蕉の句ふと思ひ出づ 雅舟 野分前 雨露帯びる庭の花 雅舟

空蝉の世

芭蕉色紙句7枚

はせを4句

『奥の細道』講義資料

平成29年9月 大野原古典講座18年目 「奥の細道」尾花沢・立石寺 クマゼミではなく、ニイニイゼミ ここでは、尿(しと)と読む。

芭蕉「奥の細道」前後の心境

書簡に現れている芭蕉自身の身の上表現 : ●元禄2年2月16日付 惣七郎・宗無宛 「奥の細道」の旅出発一ヶ月前 野心とゞまらず候。住果ぬよの中、行処帰処、何につながれ何にもつれむ。江戸の人さへまだるく成て、又能因法師・西行上人のきびすの痛もおもひ知…

芭蕉名月5句

十五夜や芭蕉とともに田舎棲み 雅舟

芭蕉の月句

今月の大野原奥の細道講座

9月大野原奥の細道講座 次の本文を講読予定 蚤虱馬の尿する枕もと あるじの云、是より出羽の国に、大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼て越べきよしを申。さらばと云て、人を頼侍れば、究竟の若者、反脇指をよこたえ、樫の杖を携て、我々が先…

今朝芭蕉5句

鶏頭や雁の来る時尚あかし 芭蕉 床に来て鼾に入るやきりぎりす 芭蕉 蜻蛉やとりつきかねし草の上 芭蕉

奥の細道6句

奥の細道の旅中、羽黒山を出て鶴ケ岡重行亭で巻いた歌仙の発句 (この地方特産の小粒で美しい民田茄子)

万葉の旅、芭蕉の旅

万葉の旅と芭蕉の旅 その共通点と相違点を比較してみたい。 〔共通点〕 「旅は憂きもの辛いもの」で一貫、「旅は道連れ世は情け」に関しては多く語られていない。 〔相違点〕 【万葉時代の旅】 ~飛鳥・奈良時代~ 農作業のために仮小屋に泊まりこむこと、我…

芭蕉朝顔・槿紙碑

朝顔は秋の七草七番目 雅舟

芭蕉『鹿島紀行』

『鹿島紀行』 松尾芭蕉の俳諧紀行 曾良・宗波と鹿島神宮に詣で、根本寺で月見をした旅の紀行。鹿島詣。 鹿島紀行 松尾芭蕉 らくの貞室、須磨のうらの月見にゆきて、 「松陰や月は三五や中納言」 といひけむ、狂夫のむかしもなつかしきまゝに、このあき、かし…

芭蕉秋の3句

鰯雲 人に告ぐべきことならず

芭蕉4句

更科紀行

「更科紀行」貞享5年(1688)笈の小文に続き、更科姥捨山の月を見に行く旅。 旅立 ① さらしなの里、おばすて山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹さわ(はぎて、ともに風雲の情をくるはすもの、又ひとり越人と云。 ② 木曾路は山深く道さがしく、旅寐の…

『笈の小文』原文

『笈の小文』 元禄21年(1709)刊。1687年10月、江戸を出て伊賀で越年、翌年須磨明石に至る紀行文。芭蕉の風雅観を示す。 百骸九竅の中に物有、かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝのかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。 …

野ざらし紀行(原文)

『野ざらし紀行』(甲子吟行とも) 貞享2年(1685)刊 芭蕉40歳 母の墓参のための帰郷を兼ねた関西旅行紀行文。蕉風確立期にあたる。 1千里に旅立て、路粮を包まず。「三更月下無何に入」と云けむ昔の人の杖にすがりて、貞亨甲子秋八月、江上の破屋を出づる…

芭蕉野に咲く5句