古典文学

家の作りやうは、夏を旨とすべし

徒然草「第55段」 冷房装置がなかった昔の日本は、そうだったのか… クーラーでくらくらする今の人もどうだろうか…

栞奈といふ女ありけり。

四国88ヶ所66番雲辺寺山(海抜927m) 昔、女ありけり。名を栞奈と言ひ、多くの男に懸想せられにけり。 されど、誰をも相手にせず、雲辺寺山の向うに姿を隠したり。 その魂が夏の虫となって、ひそかに姿を見せることありと言ふ。

行く川の流れは絶えずして

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

蓮の葉の露は玉のよう

蓮葉(はちすば)のにごりに染まぬ心もて何かは露を珠とあざむく 僧正遍昭 (古今和歌集)

八重垣神社

八雲立つ 出雲八重 垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を 『古事記』 須佐之男命 (幾重にも重なって雲が立ちのぼる出雲、幾重にもめぐらした垣、妻をこもらせるためにここ出雲の国に幾重にもめぐらせた垣を作るのだ、その垣を) 須佐之男命は八俣の大蛇を退治…

日本最古の和歌

① 出雲八重垣 『古事記』 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁尾爾 (やくもたつ いづもやへがき つまごみに ) 夜幣賀岐都久流 曾能夜 幣賀岐袁読下 (やへがきつくる そのやへがきを) ② 『万葉集』 高橋虫麿の短歌 [題詞]四年壬申藤原宇合卿遣西海道節度使之時…

今日『徒然草』京の地図

今月の徒然草講座は152~156段

兼好の筆跡

名筆 兼好の書跡

花月五百年

『花月五百年 新古今天才論』 塚本邦雄著 講談社文芸文庫 『古今集』から第21代集まで五百年にわたる勅撰集収録作約35000首から現代人 の記憶に値する歌を勘案して選び抜き、書き上げた名著。 俊成を親に持たねばならなかった定家の苦悩とは…

古典的花景

武蔵鐙芭蕉も春の雨の中 古義軒

行く川の流れ

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、また かくのごとし。 (『方丈記』冒頭)

出世景清

『出世景清』 近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目。貞享2年 (1685) 大坂竹本座初演。全五段、時代物。後に歌舞伎化され一般に親しまれた。 幸若舞の『景清』を下敷きとし、平家滅亡後も生き延びて源頼朝を討ち滅ぼそうとする悪七兵衛景清の苦悩を描く。それま…

あなたとは溶けないうちに…『徒然草』166段【雪仏】

雪仏 そのはかなさよ 人生は 古義庵 剣持雅澄

山は暮れ野は黄昏のすすきかな

国木田独歩の「武蔵野」が国語の教科書(高校ではなく、中学校であったか?)に出ていて、なぜかひどく感銘を受けた。 特に最後の方に蕪村の俳句が引用されていて、語り口が優しく、印象深くて、今なお思い出されて、切ない気持ちになる。 「…突然又た野に出る…

徒然草144段

『徒然草』144段 栂尾の上人、道を過ぎ給ひけるに、河にて馬洗ふ男、「あしあし」と言ひければ、上人立ち止りて、「あな尊や。宿執開発の人かな。阿字阿字と唱ふるぞや。如何なる人の御馬ぞ。余りに尊く覚ゆるは」と尋ね給ひければ、「府生殿の御馬に候ふ」…

道元『正法眼蔵随聞記』より

師は必ず弟子の問うを待って発言す (問われないのに発言することは余計なこと)

伊能忠敬の妻の一人「信(のぶ)」

伊能忠敬四人の妻の一人「信」

芥川の妻「文」さん 「食べたいほど可愛い」

「食べてしまいたいくらい可愛い」という有名な言葉は、 芥川龍之介の婚約時代の(塚本)文に対する言葉だった。

楫取みわ(文)

久坂文 楫取みわ とはなりにけり 幻の世にこれもまたよし

愛故知新

来年度の国民文化祭 なお、創作四字熟語にはこんな例もありますね。 猛母参戦 (孟母三遷) 嗚咽減収 (呉越同舟) 利子薄寂 (意志薄弱) 菜食健美 (才色兼備) 四面粗歌 (四面楚歌)

親しみは人間どもよりずっとまし「都鳥」

『伊勢物語』でおなじみの「都鳥」に尋ねたい「我が思ふ人はありやなしやと」 財田川河口に冬の使者「ユリカモメ」来たる ゜ 嘴と脚の赤い都鳥、舞い戻ってくる。

三島由紀夫による歌舞伎『椿説弓張月』

琴弾き、薄雪をバックに惨殺敵討ち劇『椿説弓張月~白縫の復讐~』 三島由紀夫の脚本・演出・舞台監督 殺しを命じる為朝の妻白縫姫(七之助)、腰元に太い竹串を肩・手首・腿の付け根などに木槌で打ち込まれ、もだえ・叫び・雪の降る白い庭に血を流し、髪を…

夫為朝の仇討ち

曲亭馬琴著・葛飾北斎画 『椿説弓張月』 第5巻 第12回 美女白縫、夫為朝の仇討ちを讃岐琴引社(現、琴弾八幡宮)で果たす。 保元の乱が起きたとき、太宰府の館を守っていた源為朝の妻白縫は召使い八人とともに、九州から讃岐、琴弾の宮に逃れ、神仏に夫の無事…

本日の『徒然草』第100段前後

人生訓①躊躇するようなことはしない方がいい。②物を持たない方がいい。 ③物がなくても不自由しない。④恵まれない相手の身になる。 ⑤あえて暇を見つけて仏道を願う。 傷んでいても古くから伝わるものを大事にする。

『椿説弓張月』白縫の仇討ち

白縫、夫為朝の仇討ち、武藤太を讃岐琴引山で惨殺す。 彼の両手の指を切り、五寸あまりの竹釘を武藤太の体のあちこちに打ち込み、さんざんに怨みを晴らして、首を打った。 現在、琴弾山頂には、次のような案内板に説明文がある。 江戸時代の読本作家、滝沢馬…

今月の『つれづれ草』講読はこれ

清貧・無一物の思想、そして恵まれぬ人への【思いやり】

弓張月

滝沢馬琴は『椿説弓張月』の中で讃岐を物語の一つの大きな舞台としている。これは馬琴が主人公源為朝の仕えた崇徳上皇を為朝が思慕し、また為朝を庇護する人物として描いたことからきている。上皇が葬られた白峯や直島を舞台としたもの。 琴弾八幡宮の由緒は…

義経の策略(屋島合戦の裏話)

木之鳥居 (830年前、義経が奉納) 石の鳥居南 琴弾八幡宮前の説明板 「木之鳥居」 八幡宮参道途中 説明版…元暦二年(1185年) 源義経 屋島合戦勝利の後 平家追討を祈願して 奉納。 所在地は、香川県観音寺市の琴弾八幡宮。 九郎判官 義経は屋島合戦の後…

徒然草の作者

大野芳著『吉田兼好とは誰だったのか』 幻冬舎新書 日本三大随筆の一つ『徒然草』は鎌倉後期、吉田兼好によって書かれた作品。爾来、兼好の実体は薮の中にある。本名は分かっているが、生没年不祥。原本は消失。最古の写本も兼好の死後数十年のもの。原本は…