夫為朝の仇討ち

  曲亭馬琴著・葛飾北斎画 『椿説弓張月』  第5巻  第12回 
   美女白縫、夫為朝の仇討ちを讃岐琴引社(現、琴弾八幡宮)で果たす。
保元の乱が起きたとき、太宰府の館を守っていた源為朝の妻白縫は召使い八人とともに、九州から讃岐、琴弾の宮に逃れ、神仏に夫の無事を祈っていた。琴弾の宮というのは、現在の観音寺市にある琴弾八幡宮のことである。
一方、京では、戦いに敗れ傷ついた為朝が家来の武藤太の家に身を潜めていたが、恩賞に目がくらんが武藤太により密告されてしまう。この裏切りで為朝は敵方に捕縛され、再び弓を引けないように肘の筋を断たれて伊豆の大島に流される。
主君を敵方に売った武藤太は、痴れ者として非難され、京に居たたまれなくなって船に乗って九州へ向かう。その途中、讃岐の室本の港(観音寺市室本町)に流れ着き、武運に縁の深い琴弾の宮に参拝する。武藤太は祈願の言葉の中で密告の恩賞が少なかった恨み言を述べる。そのとき、偶然白縫がそこに居合わせ、拝殿に祈る男の言葉からその男が夫為朝の仇だと知る。
 白縫は、「これこそ神の導き」と、ある月の夜、武藤太を酒宴に誘い出す。美しい琴の音が聞こえる酒宴の場と、白縫の容色に取り付かれた武藤太は、何も知らず勧められるままに酒を飲み、前後不覚となってしまう。気がついた武藤太は逃げようとするが、縛りつけられ、指を一本ずつ落とされたうえ、体に竹釘を打ち込まれて惨殺される。
イメージ 3
イメージ 2
イメージ 4
イメージ 1
イメージ 1
椿説弓張月』は、『南総里見八犬伝』に並ぶ曲亭馬琴の代表作。前編六冊を初版本から精密なアミ版による影印本として公刊。ダイナミックな北斎の挿画が見開き状態で紙面一杯に繰り広げられる。初期の形態をもつ初版本。北斎の挿絵中野色板の使い方等に多く見られ、薄墨の用い方の妙が印象的な稀本である。表紙は薄い藍色他に濃藍色で波に群千鳥を描いている。本文は例えば、讃岐・観音寺の琴弾宮もこの作品の舞台となっていて、武藤太の敵討ちの場面が鮮烈に描かれている。