『笈の小文』原文

 『笈の小文』 元禄21年(1709)刊。1687年10月、江戸を出て伊賀で越年、翌年須磨明石に至る紀行文。芭蕉の風雅観を示す。

 百骸九竅の中に物有、かりに名付て風羅坊といふ。誠にうすものゝのかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。 終に生涯のはかりごとゝなす。
ある時は倦で放擲せん事をおもひ、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり、是非胸中に  たゝかふて、是が為に身安からず。 しばらく身を立むことをねがへども、これが為にさへられ、暫ク學で愚を曉ン事をおもへども、是が為に破られ、つひに無能無藝にして只此一筋  に繋がる。
西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の繪における、利休の茶における、其貫 道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時*を友とす。見る處花にあらずといふ事なし。 おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。
 
旅立ち
  神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、
  旅人と 我名よばれん 初しぐれ
   又山茶花を宿々にして
岩城の住、長太郎と云もの、此脇を付て其角亭におゐて関送リせんともてなす。
  時は冬 よしのをこめん 旅のつと
この句は、露沾公より下し給はらせ侍りけるを、はなむけの初として、旧友、親疎、門人等、あるは詩歌文章をもて訪ひ、或は草鞋の料を包て志を見す。かの三月の糧を集に力を入ず。紙布・綿小などいふ もの帽子したうづやうのもの、心々に送りつどひて、霜雪の寒苦をいとふに心なし。あるは小船をうかべ、別墅にまうけし、草庵に酒肴携来たりて行衛を祝し、名残をおしみなどするこそ、ゆへある人の首途 するにも似たりと、いと物めかしく覺えられけれ。
 
旅の日記
抑、道の日記といふものは、紀氏・長明・阿佛の尼の、文をふるひ情を盡してより、餘は皆  俤似かよひて、其糟粕を改る事あたはず。まして浅智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨 降、昼より晴て、そこに松有、かしこに何と云川流れたりなどいふ事、たれたれもいふべく覺 侍れども、黄哥(奇)蘇新のたぐひにあらずば云事なかれ。されども其所そのところの風景心に残り、山館・野亭のくるしき愁も、且ははなしの種となり、風雲の便りともおも ひなして、わすれぬ所々跡や先やと書集侍るぞ、猶酔ル者の猛語にひとしく、いねる人の 讒言す るたぐひに見なして、人又妄聽せよ。
 
鳴海
  星崎の 闇を見よとや 啼千鳥
飛鳥井雅章公の此宿にとまらせ給ひて、「都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだてゝ」と詠じ給ひけるを、自かゝせたまひて、たまはりけるよしをかたるに、
  京までは まだ半空や 雪の雲
 
    三河国保美~伊良古崎
 三川の國保美といふ處に、杜國がしのびて有けるをとぶらはむと、まづ越人に消息して、鳴海より跡ざまに二十五里尋かへりて、其夜吉田に泊る。
 寒けれど 二人寐る夜ぞ 頼もしき
あまつ縄手、田の中に細道ありて、海より吹上る風いと寒き所也。
 冬の日や 馬上に凍る 影法師
保美村より伊良古崎へ壱里計も有べし。三河の國の地つヾきにて、伊勢とは海へだてたる所なれども、いかなる故にか、万葉集には伊勢の名所の内に撰入れられたり。此渕(州)崎にて碁石を拾ふ。世にいらご白といふとかや。骨山と云は鷹を打處なり。南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。い らご鷹など歌*にもよめりけりとおもへば、猶あはれなる折ふし  鷹一つ 見付てうれし いらご崎
 
熱田御修覆
 磨なをす 鏡も清し 雪の花
蓬左の人々にむかひとられて、しばらく休息する程、
  箱根こす 人も有らし 今朝の雪

  有人の會
 ためつけて 雪見にまかる かみこ哉
 いざ行む 雪見にころぶ 所まで
ある人興行
 香を探る 梅に蔵見る 軒端哉
此間、美濃・大垣・岐阜のすきものとぶらひ来りて、歌仙、あるは一折など度々に及。
師走十日餘、名ごやを出て、旧里に入んとす。
 旅寝して みしやうき世の 煤はらひ
「桑名より食はで来ぬれば」と云日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、荷鞍うちかへりて馬より落ぬ。
 歩行ならば 杖つき坂を 落馬哉
と、物うさのあまり云出侍れ共、終に季のことばいらず。
 旧里や 臍の緒に泣く としの暮
宵のとし、空の名残おしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寝わすれたれば、
  二日にも ぬかりはせじな 花の春
 
初春
 春たちて まだ九日の 野山哉
 枯芝や やゝかげろふの 一二寸
伊賀の國阿波の庄といふ所に、俊乗上人の旧跡有。護峰山新大仏寺とかや云、名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍は破れて礎を残し、坊舎は絶えて田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋て、御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふに、聖人の御影はいまだ全おはしまし侍るぞ、其代の名残うたがふ所なく、泪こぼるゝ計也。石の連(蓮)台・獅子の座などは、蓬葎の上に堆ク、双林の枯たる跡も、まのあたりにこそ覺えられけれ。
 丈六に かげろふ高し 石の上
 さまざまの こと思ひ出す 櫻哉
伊勢山田
 何の木の 花とはしらず 匂哉
 裸には まだ衣更着の 嵐哉
 
伊勢.
菩提山
 此山の かなしさ告よ 野老掘
龍尚舎
 物の名を 先づとふ芦の わか葉哉
 梅の木に 猶やどり木や 梅の花
草庵會
 いも植て 門は葎の わか葉哉
神垣のうちに梅一木もなし。いかに故有事にやと、神司などに尋ね侍ば、只何とはなし、をのづから梅一もともなくて、子良の館のうしろに一もと侍るよしをかたりつたふ
 御子良子の 一もとゆかし 梅の花
 神垣や 思ひもかけず ねはんぞう
 
吉野へ.
 彌生半過る程、そヾろにうき立心の花の、我を道引枝折となりて、よしのゝ花におもひ立んとするに、かのいらご崎にてちぎり置し人の、いせにて出むかひ、ともに旅寐のあはれをも見且は我為に童子となりて、道の便リにもならんと、自万菊丸と名をいふ。まことにわらべらしき名のさま、いと興有。いでや門出のたはぶれ事せんと、笠のうちに落書ス。
乾坤無住同行二人
 よし野にて 櫻見せふぞ 檜の木笠
 よし野にて われも見せうぞ 檜の木笠     万菊丸
旅の具多きは道ざはりなりと、物皆払捨たれども、夜の料にと、かみこ壱つ、合羽やうの物、硯、筆、かみ、薬等、昼餉なんど物に包て、後に背負たれば、いとヾすねよはく、力なき身の跡ざまにひかふるやうにて、道猶すゝまず、たヾ物うき事のみ多し。
 草臥て 宿かる比や 藤の花
初瀬
 春の夜や 籠リ人ゆかし 堂の隅
 足駄はく 僧も見えたり 花の雨     万菊
  
 猶見たし 花に明行 神の顔
臍峠 多武峠より龍門へ越道也
 雲雀より 空にやすらふ 峠哉
 
龍門
 龍門の 花や上戸の 土産にせん
 酒のみに 語らんか ゝる 瀧の花

西河
 ほろほろと 山吹ちるか 瀧の音

蜻鳴瀧
布留の瀧は布留の宮より二十五丁山の奥也。
 津の国幾田の川上に有    大和

布引の瀧 箕面の瀧 勝尾寺へ越る道に有

 櫻狩り きどくや日々に 五里六里
 日は花に 暮てさびしや あすならふ
 扇にて 酒くむかげや ちる櫻 
苔清水
 春雨の こしたにつたふ 清水哉