芭蕉の最上川

  10月の奥の細道は「最上川
五月雨をあつめて早し最上川    芭蕉
さみだれや大河を前に家二軒    蕪村
 後藤比奈夫は、その著書『今日の俳句入門』で、「客観写生」とは心で作って心を消すこと、すなわち「作為を捨  てること」を言っている。

  五月雨をあつめて早し最上川     「最上川乗らんと、大石田と云処に日和を待」っている時の句。
  (初案) さみだれをあつめてすゞしもがみ川    
 大石田での句会の歌仙の発句として詠んだとき、芭蕉はまだ舟に乗っていなかった。
 岸から眺めた最上川の印象が「すゞし」。さらにこの「すゞし」はこの土地の人々への挨拶。
 一方、『おくのほそ道』の句は舟に乗りこんで最上川を下る時詠んだ句。
 「早し」は激流を下るときの最上川の実体験になる。

 蕪村にも五月雨と大河を詠んだ句がある。
   さみだれや大河を前に家二軒  
 蕪村は大河の岸辺からというよりは空中から大河と二軒の家を眺めている。
 ここにあるのはあくまで静かな一枚の絵である。芭蕉の句と比べると、動と静のちがいがある。
 蕪村は芭蕉の句を意識して詠んだと思われる。

    五月雨を集めて早し最上川  松尾芭蕉
       By gathering water from samidare, Mogami-gawa River flows very quickly (Basho MATSUO)

    暑き日を海にいれたり最上川
        The blistering sun is gathered in the sea by Mogami-gawa River



 ◎ 『奥の細道』道中、最上川歌仙を巻く
さみだれをあつめてすずしもがみ川
曾良と共に奥の細道の旅に出て、最上川のほとりの「一栄・高野平右衛門」宅で歌仙を巻き、その時の発句、即ち挨拶句。「脇句」も挨拶句を受けての応答。この「発句=挨拶」と「脇句=添え」で、その座の仕来りが済み、連句の座における一期一会の風格も決まる。
発句をつくる際は、「時と所」を盛り込んでつくり、脇句をつくる際は、発句の句柄に密着した季節、時刻、場所を同じくする。
芭蕉の時代には、発句を招かれた客が詠み、その句を受けて招いた主人が「脇句」を付けるのが一般的。ここ大石田三泊するのだが、芭蕉の挨拶句に一栄(高野平右衛門・船問屋)は
発句  さみだれをあつめてすずしもがみ川  芭蕉
 脇   岸にほたるを繋ぐ舟杭          一栄
 芭蕉はただ単に、最上川の情景を詠んだだけではなく、一栄も、その情景を補完するためだけに詠んだのではない。
 次に「第三」までを示すと
  発句  さみだれをあつめてすずしもがみ川   芭蕉
 脇      岸にほたるを繋ぐ舟杭          一栄
  第三  瓜ばたけいさよふ空に影まちて        曾良
表六句は次のように続く。  
発句  さみだれをあつめてすずしもがみ川    芭蕉
 脇    岸にほたるを繋ぐ舟杭           一栄
  第三 瓜ばたけいさよふ空に影まちて        曾良
 四   里をむかひに桑のほそみち        川水(庄屋)
 五  うしのこにこころなぐさむゆふまぐれ      一栄
 六   水雲重しふところの吟                         芭蕉
俳諧名人の巻く連句は、式目に振り回されることなく、それを超えたところで連綿と続いていく。表六句は緊張感をもって一気に続ける。

  ◎次の新庄では二泊して三つものを作っている。
水の奥氷室尋る柳哉         翁
    ひるがほかゝる橋のふせ芝     風流(甚兵衛)
風渡る的の変矢に鳩鳴て       曾良