2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧
490 とほし哉琴引山の京かのこ 赤松氏雲流・・風女
明日の源氏物語(須磨)講座資料Ⅱ 朱雀帝(源氏の異母兄)の最愛の女性で、当時の最高実力者であった右大臣の娘の朧月夜(弘徽殿の妹)との関係が発覚して、源氏は京にいられなくなり、須磨に落ち延びることになる。
打つれて朱の牡丹咲く兄弟の めでたきを持つ人の如くに 与謝野晶子 牡丹花は咲き定まりて静かなり 花の占めたる置のたしかさ 木下利玄 一輪の牡丹かがやく病間かな 正岡子規 牡丹百二百三百門一つ 阿波野青畝 ぼうたんの百のゆるるは湯のように 森 澄雄
489 汗通て出・うち拂しほの山 松涛庵古扇
488 琴曳の軒に調る夕時雨 日向佐土原義次
487 琴曳の軒に調る夕時雨 日向佐土原義次
中島敦が英米文学の影響を受けた歌稿の中に数首日本・中国の古典が詠まれている。 ある時は人麿のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ 我が歌はをかしき歌ぞ人麿も憶良もいまだ得 詠 ( よ ) まぬ歌ぞ ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心 …
なぜ源氏は須磨に流離しなければならなかったのか。 失脚、流謫、それとも自発的隠遁、漂泊の新境地を求めて? 須磨の秋、源氏憂愁の日々に涙で「枕浮きぬばかり」 『古今集』須磨における「心づくしの秋風」の歌はもちろん、 紫式部は『古今六帖』の人麻呂…
芭蕉早苗塚周辺の玉垣に彫り込まれた句は、30句あるが、わずか5句しか 読み取れていない。天保10年(1839)再建…以来173年経過して磨滅している。 時鳥なくや白ける山の星 まだおくのあるやどすぐ苔清水 月菜(庄司良助) 夜あらしや枝移りしてほととぎす 今是(…
486 月のけんか蛍の尾さやいつは雄 日州佐土原為次
485 塩の山や月も宿りの濡・・ 佐雅
484 みかきます羅月や一夜庵 義元
香川県西端の和田(観音寺市豊浜町)は梨の栽培100年の伝統をもつ。 今、その梨の郷は花盛りです。 ここは故大平正芳総理生誕地の香川県西端和田という所です。
483 あらすらん琴引山の松の雪 日向佐土原吉勝
482 七夕やまつり下されし琴引山 十三女登人
481 一夜かる旅寝の庵の郭公 日州佐土原井上氏良次
一夜庵の傍らに 宗鑑の直筆句碑や利休梅 雅舟 俳句の始まり、宗鑑の俳句 貸し夜着の 袖をや霜に 橋姫御 宗鑑 この俳句には、本歌があった。 片敷きの 袖をや霜に 重ぬらん 月に夜がるゝ 宇治の橋姫 法印幸清 ここで「橋姫」が詠み継がれていることに注目し…
鴬の一鳴き故に一夜庵 人稀の鶯エチュード一夜庵 筍の一本故に一夜庵
閏年には、お四国遍路は逆打ちが多い。 一番阿波霊山寺からではなく、八十八番讃岐大窪寺から逆コースをたどる。 香川県観音寺(69番)神恵院(68番)は同一境内にある一山二霊場で珍しい。
まだ残る桜の果ての入道雲 春と夏とが行き交ふ故里 菜の花の咲き満つ川のその果てに夏雲出ていて季節は移る
とりわきて心も凍みて冴えぞわたる衣川見に来たる今日しも (歌人西行となった佐藤義清30歳の頃に平泉で詠んだ歌。ドラマ平清盛 との再会で紹介。衣川…岩手県南西部を流れる北上川の支流) この度、藤木直人扮する行脚僧西行、お目見え(お似合い?)
480 名にしおはゞ松・梢をふく風に やお名つげこせ琴ひきの山 日向佐土原安治
479 散らぬ花曇らぬ月や宗鑑忌 風仲女
478 みかきけす・の月や一夜庵 義元
477 あゝ寿覧琴引山の松の雪 日州佐土原吉勝
476 七夕や松に下され琴引山 十三女登人
475 名遺後昆一夜庵 獨真古跡作伽藍 初知教外別傳旨 発句勧衆試苦甘 宝林下宜世
我が母校観一の先輩文庫所蔵の一冊 『統合失調症 その新たなる真実』 岡田尊司著(PHP新書)2010年刊 頻度の高い、身近な精神病疾患「統合失調症」…今は克服できる病になろうとしている。本書ではこの疾患の背景やメカニズム、治療技術ゆ回復過程について…
474 たれやはおる月のよなよな火打灘 日向佐土原重僚