人麻呂挽歌観


       『万葉集』巻二 人麻呂「挽歌」に関する私見
 〔A群〕
讃岐国 (さぬきのくに ) 狭岑島 (さみねのしま ) にて 石中 (いそへ ) の 死人 (しにひと ) を視て、柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌
0220 玉藻よし 讃岐の国は
    国柄 (くにから ) か 見れども飽かぬ  神柄 (かみから ) か ここだ貴き
   天地 日月とともに  満 ( ) り行かむ 神の 御面 (みおも ) と
   云ひ継げる  那珂 (なか ) の港ゆ 船浮けて  吾 ( ) が榜ぎ来れば
   時つ風 雲居に吹くに 沖見れば しき波立ち
    辺 ( ) 見れば 白波騒く  鯨魚 (いさな ) 取り 海を畏み
   行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど
   名ぐはし 狭岑の島の  荒磯廻 (ありそみ ) に 廬りて見れば
   波の 音 ( ) の 繁き 浜辺 (はまへ ) を 敷布の 枕になして
    荒床 (あらとこ ) に  転 (ころ ) 臥す君が 家知らば 行きても告げむ
   妻知らば 来も問はましを 玉ほこの 道だに知らず
    欝悒 (おほほ ) しく 待ちか恋ふらむ  愛 ( ) しき妻らは

  反歌二首
0221 妻もあらば摘みて 食 ( ) げまし狭岑山野の 上 ( ) のうはぎ過ぎにけらずや
0222 沖つ波来寄る荒礒を敷布の枕とまきて 寝 ( ) せる君かも

 〔B群〕
 柿本朝臣人麿が石見国に在りて 死 (みまか ) らむとする時、 自傷 (かなし ) みよめる歌一首
0223 鴨山の磐根し 枕 ( ) ける 吾 (あれ ) をかも知らにと妹が待ちつつあらむ

柿本朝臣人麿が 死 (みまか ) れる時、 妻 ( ) 依羅娘子 (よさみのいらつめ ) がよめる歌二首
0224 今日今日と 吾 ( ) が待つ君は石川の貝に交りてありといはずやも
0225  直 (ただ ) に逢はば逢ひもかねてむ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ

 【考察】 『万葉集』の構成が厳密な類聚法でなされていないことは言うまでもない。ただ、故伊藤博氏などは
グループ読みをして、数首~十首にまとめて読み取る解釈をしている。一般にはそれぞれが独立して、関連性を重要視しない。 伊藤方式の拡大的な私見で、かなり独断的なものになるが、A群とB群の挽歌をつながるものをあるとみている。AB両者は決して関連なく羅列しているのではなく、人麻呂の自他の死を一体とする【挽歌観】で深くつながっていると直感するものである。A群の沙弥島で見た死骸を自らに重ねて、B群の妻との唱和が連接している点である。古来そのことを注視する見解の見られなかってことを訝しみ、同時に私見が独断的で論的根拠のなさを感じている。