萬葉集巻7「羇旅歌」

      万葉集【巻7  羇旅歌群 90首】
覊旅 (たび ) にてよめる   巻7ー1161~1250 
1161 家 離 (ざか ) り旅にしあれば秋風の寒き夕へに雁鳴き渡る
1162  圓方 (まとがた ) の港の洲鳥波立てば妻呼びたてて辺に近づくも
1163  年魚市潟 (あゆちがた ) 潮干にけらし知多の浦に朝榜ぐ舟も沖に寄る見ゆ
1164 潮干れば共に潟に 出 ( ) 鳴く 鶴 (たづ ) の声遠ざかれ磯廻すらしも
1165 夕凪にあさりする 鶴 (たづ ) 潮満てば沖波高み 己妻 (おのづま ) 呼ぶも
1166 古にありけむ人の求めつつ衣に摺りけむ真野の榛原
1167 あさりすと磯に 吾 ( ) が見し 名告藻 (なのりそ ) をいづれの島の海人か刈るらむ
1168 今日もかも沖つ玉藻は白波の八重折るが上に乱れてあらむ
1169 近江の 海 ( ) 港 八十 (やそ ) あり 何処 (いづく ) にか君が舟泊て草結びけむ
1170  楽浪 (ささなみ ) の 連庫山 (なみくらやま ) に雲ゐれば雨そ降るちふ帰り 来 ( ) 我が背
1171  大御船 (おほみふね ) 泊ててさもらふ高島の三尾の 勝野 (かちぬ ) の渚し思ほゆ
1172 何処にか 舟 (ふな ) 乗りしけむ高島の香取の浦ゆ榜ぎ出来し船
1173 飛騨人の真木流すちふ 丹生 (にふ ) の川言は通へど船ぞ通はぬ
1174 霰降り鹿島の崎を波高み過ぎてや行かむ恋しきものを
1175 足柄の箱根飛び越え行く 鶴 (たづ ) の 羨 (とも ) しき見れば大和し思ほゆ
1176  夏麻引 (なつそび ) く 海上潟 (うなかみがた ) の沖つ洲に鳥はすだけど君は音もせず
1177 若狭なる三方の海の浜清みい往き返らひ見れど飽かぬかも
1178 印南野は行き過ぎぬらし 天伝 (あまづた ) ふ日笠の浦に波立てり見ゆ
1179 家にして 吾 (あれ ) は恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を
1180  荒磯 (ありそ ) 越す波を畏み淡路島見ずや過ぎなむここだ近きを
1181 朝霞止まず棚引く龍田山船出せむ日は 吾 (あれ ) 恋ひむかも
1182 海人小舟帆かも張れると見るまでに 鞆之浦廻 (とものうらみ ) に波立てり見ゆ
1183 ま 幸 (さき ) くてまた還り見む 大夫 (ますらを ) の手に巻き持たる鞆之浦廻を
1184 鳥じもの海に浮き居て沖つ波騒くを聞けばあまた悲しも
1185 朝凪に真楫榜ぎ出て見つつ来し御津の松原波越しに見ゆ
1186 あさりする 海未通女 (あまをとめ ) らが袖通り濡れにし衣干せど乾かず
1187 網引する海人とや見らむ 飽浦 (あくのうら ) の清き荒磯を見に来し 吾 (あれ ) を
    右ノ一首ハ、柿本朝臣人麿ノ歌集ニ出ヅ。
1188 山越えて遠津の浜の磯躑躅還り来むまで*ふふみてあり待て
1189 大海に嵐な吹きそしなが鳥猪名の湊に舟泊つるまで
1190 舟泊てて 杙 (かし ) 振り立てて廬りせな 子潟 (こがた ) の浜辺*過ぎかてぬかも
1191 妹が門入り泉川の*瀬を速み 吾 ( ) が 馬 (うま ) つまづく家 思 ( ) ふらしも
1192 白たへににほふ真土の山川に 吾 ( ) が馬なづむ家恋ふらしも
1193  勢 ( ) の山に 直 (ただ ) に向へる妹の山事許せやも打橋渡す
1194 紀の国の 雑賀 (さひか ) の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ
1195  麻衣 (あさころも ) 着 ( ) ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く 我妹 (わぎも )
   右ノ七首ハ、藤原卿作メリ。年月審ラカナラズ。
1196  苞 (つと ) もがと乞はば取らせむ貝 拾 (ひり ) ふ 吾 (あれ ) を濡らすな沖つ白波
1197 手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり
1198 あさりすと磯に棲む 鶴 (たづ ) 明けゆけば浜風寒み 己妻 (おのつま ) 呼ぶも
1199  藻刈舟 (もかりぶね ) 沖榜ぎ来らし妹が島形見の浦に 鶴 (たづ ) 翔る見ゆ
1200 我が舟は沖よな 離 (さか ) り迎ひ舟片待ちがてり浦ゆ榜ぎ逢はむ
1201 大海の水底 響 (とよ ) み立つ波の寄せむと 思 ( ) へる磯のさやけさ
1202 荒磯ゆもまして思へや玉之浦 離 (さか ) る小島の夢にし見ゆる
1203 磯の 上 ( ) に爪木折り焚き 汝 ( ) が為と 吾 ( ) が 潜 (かづ ) き来し沖つ白玉
1204 浜清み磯に 吾 ( ) が居れば見む人は海人とか見らむ釣もせなくに
1205 沖つ楫やうやうな榜ぎ*見まく欲り 吾 ( ) がする里の隠らく惜しも
1206 沖つ波辺つ藻巻き持ち寄せ来とも君にまされる玉寄せめやも
1207 粟島に榜ぎ渡らむと思へども明石の 門波 (となみ ) いまだ騒けり
1208 妹に恋ひ 吾 ( ) が越えゆけば勢の山の妹に恋ひずてあるが羨しさ
1209 人ならば母の 愛子 (まなご ) そ 麻裳 (あさも ) よし紀の川の辺の妹と背の山
1210 我妹子に 吾 ( ) が恋ひゆけば羨しくも並びをるかも妹と背の山
1211 妹があたり今ぞ 吾 ( ) が行く目のみだに 吾 (あれ ) に見せこそ言問はずとも
1212  阿提 (あて ) 過ぎて 糸鹿 (いとか ) の山の桜花散らずあらなむ還り来むまで
1213  名草山 (なぐさやま ) 言にしありけり 吾 ( ) が恋ふる千重の一重も慰めなくに
1214  安太 (あた ) へ行く 推手 (をすて ) の山の真木の葉も久しく見ねば蘿むしにけり
1215  玉津島 (たまづしま ) よく見ていませ青丹よし奈良なる人の待ち問はばいかに
1216 潮満たばいかにせむとか 海神 (わたつみ ) の神が 門 ( ) 渡る*海未通女ども
1217 玉津島見てしよけくも 吾 (あれ ) はなし都に行きて恋ひまく 思 ( ) へば
1218 黒牛の 海 ( ) 紅にほふ百敷の大宮人し漁りすらしも
1219 若の浦に白波立ちて沖つ風寒き夕へは大和し思ほゆ
1220 妹が為玉を拾ふと紀の国の由良の岬にこの日暮らしつ
1221  吾 ( ) が舟の楫をばな引き大和より恋ひ 来 ( ) し心いまだ飽かなくに
1222 玉津島見れども飽かずいかにして包み持ちゆかむ見ぬ人の為
1223  海 (わた ) の底沖榜ぐ舟を辺に寄せむ風も吹かぬか波立てずして
1224  大葉山 (おほはやま ) 霞たなびき小夜更けて 吾 ( ) が船泊てむ泊知らずも
1225 さ夜更けて夜中の方におほほしく呼びし舟人泊てにけむかも
1226  神 (かみ ) の崎荒磯も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ 避道 (よきぢ ) は無しに
1227 磯に立ち沖辺を見れば 海藻刈舟 (めかりぶね ) 海人榜ぎ 出 ( ) らし鴨翔る見ゆ
1228  風早 (かざはや ) の三穂の浦廻を榜ぐ船の舟人騒く波立つらしも
1229  吾 ( ) が舟は明石の浦に*榜ぎ泊てむ沖へな 離 (さか ) りさ夜更けにけり
1230 ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも 吾 ( ) をば忘れじ 志加 (しか ) の 皇神 (すめかみ )
1231  天霧 (あまぎら ) ひ 日方 (ひかた ) 吹くらし 水茎 (みづくき ) の崗の湊に波立ち渡る
1232 大海の波は畏し然れども神を 斎 (いは ) ひて船出せばいかに
1233  未通女 (をとめ ) らが織る 機 (はた ) の 上 ( ) を真櫛もち 掻上 (かか ) げ 栲島 (たくしま ) 波の間ゆ見ゆ
1234 潮速み磯廻に居れば漁りする*海人とや見らむ旅ゆく我を
1235 波高し如何に楫取水鳥の浮寝やすべき猶や榜ぐべき
1236 夢のみに継ぎて見えつつ高島の磯越す波のしくしく思ほゆ
1237 静けくも岸には波は寄せけるかこの家通し聞きつつ居れば
1238 高島の 安曇 (あど ) 河波は*騒けども 吾 (あれ ) は家 思 ( ) ふ廬り悲しみ
1239 大海の磯もと揺すり立つ波の寄せむと 思 ( ) へる浜の 清 (さや ) けく
1240 玉くしげ 見諸戸山 (みもろとやま ) を行きしかば面白くして古思ほゆ
1241 ぬば玉の黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも
1242 あしひきの山ゆき暮らし宿借らば妹立ち待ちて宿貸さむかも
1243 見渡せば近き里廻を 廻 (たもとほ ) り今そ 吾 ( ) が来し 領巾 (ひれ ) 振りし野に
1244 未通女らが 放 (はなり ) の髪を由布山雲な棚引き家のあたり見む
1245 志加の海人の釣船の綱耐へかてに心に 思 ( ) ひて出でて来にけり
1246 志加の海人の塩焼く 煙 (けぶり ) 風をいたみ立ちは上らず山に棚引く
右ノ件ノ歌ハ、古集ノ中ニ出ヅ。
1247  大穴牟遅 (おほなむぢ ) 少御神 (すくなみかみ ) の作らしし妹背の山は見らくしよしも
1248 我妹子と見つつ偲はむ沖つ藻の花咲きたらば 吾 (あれ ) に告げこそ
1249 君がため 浮沼 (うきぬ ) の池の菱摘むと 吾 ( ) が 染衣 (しめころも )濡れにけるかも
1250 妹がため菅の実採りに行きし 吾 (あれ ) 山道に惑ひこの日暮らしぬ

  ☆旅先で夫が家なる妻を恋い偲ぶ歌、家なる妻が旅先の夫を思いやる歌など、妹背の仲が歌われている。
    陸路・海路のいずれにしても、「家」と「旅」が対比され、旅人の旅愁が漂っている。