#高校

観一沿革史

三中・三女・観一の沿革史

誰よりも母校を愛す

観一観音寺支部だより「グラビア」候補

先輩紹介「秋山範二」道元の研究者

『道元の研究』 秋山範二著 柞田町上出出身、彦根高等商業学校の教授であった秋山範二により書かれた道元禅師の研究書。 昭和10年に岩波書店から初版が刊行される。体系的な道元禅師研究の先駆をなす著書として名高い。検討範囲は道元禅師の伝記に始まり、各…

ツツジ匂ふ母校

紅にほふ母校観一 知る人ぞ知る大平総理出身校 大平正芳先輩

観一母校にも戦没詩人の詩碑前にもツツジ満開

観一(三中)母校の戦没詩人森川義信「勾配」詩碑

中井先生の戦時訓

大野原八幡神社に遺されている中井虎男先生の遺筆 ①大死一番至忠至孝 四字熟語「大死一番」 必死の覚悟で物事に取り組むこと。 元は仏教の言葉で、自身の欲望や迷いを捨てて修行に取り組むこと 出典 『碧巌録』 「至忠至孝至悌」とは、忠・孝・悌の最高の極…

中井虎男先生墓碑銘

森川義信詩碑とツツジ

戦没詩人【森川義信】 筑摩書房の高等学校用『現代文』教科書に載せられている。先輩をこの教科書で学習し、教えることに誇りを感じている。教科書準拠『演習国語Ⅱ』では、森川義信の代表作「勾配」が載せられている。 勾 配 森川義信 非望のきはみ 非望の…

中井虎男先生の遺筆

作家高橋和巳の疎開先風景

夏はこの溜め池で友達と泳いだ。 香川県観音寺市大野原町四軒屋 香川県最西端豊浜駅(ここから観音寺に通学した) 姫浜に魚貝をよく採りに行った。 母方祖父母等先祖の墓碑

文人宰相の奥津城

瀬戸内海広がる視野の丘の上 文人宰相の奥津城どころ

合田浩一先生17回忌供養句

香川県観音寺市豊浜町墓地公園 君よなぜ44歳の若さで逝きたるか 同僚ここに17回忌す

二人の合田さん(牧師と教師)

人間愛にあふれた二人の合田さん とこしえに霊よ安かれ ↑44歳で急逝の教師合田浩一さん ↓30歳で病死の牧師合田俊二さん

故大平総理の墓参

香川県観音寺市豊浜墓地公園 合意と調和、人間味豊かに生きた文人宰相

母校観一楠若葉

百年の年輪をもつ母校樟樹65本が亭々と聳ゆ 樟若葉萌え立つ母校観一に大平総理は聖書を抱え

大平総理の孫娘の本

日本初の衆参同日選挙中に急逝した悲劇の総理・大平正芳。【楕円の哲学】 【田園都市国家構想】等の理想を追求した熱血政治家の苦悩は家族だけが知っていた。愛された孫娘が政治一族の真実を秘話満載で綴る。不世出の政治家の理念には日本の進むべき道も示さ…

一言重し、百金軽し。

先輩大平正芳総理の名言「一言重、千金軽」 これは、母校観一玄関に掲示されている。

中井虎男先生の遺墨

旧制香川県立三豊中学校の名物教師【中井虎男先生】 50年目に遺墨数十点を母校で発見。ここにその一部を掲載します。

中井虎男先生の直筆色紙14点

詩人森川義信生家は…

中井虎男先生の短歌

手をのべて招き扶けの枝あれば 悦びつれて皆まいるらん 無長 左右から松の枝が延びている、左方が招きの枝、右方が扶けの枝 と名づけられていた徳賢寺の松を歌に詠んだ。その人は数学の中 中井虎男先生。俳句は知られているが、短歌はまことに珍しい。

三豊聖人 中井虎男先生 信条【道一筋】

中井先生遺筆色紙(2)

平田家に愛蔵している中井虎男先生の遺筆色紙

中井先生遺筆色紙(1)

昭和40年頃、讃岐大野原において 中井虎男先生が本家筋の名門平田家の為に書かれた色紙

観一歌仙句碑

観一国語科【歌仙】連句碑にする前の下書き 平成初期詠

浩一さん追想連句碑

同僚の菩提弔う連句なり 句碑に仕立てて墓地に建てたり

仲間追悼の連句碑はこれだ。

急逝(不審な死)した偉才G氏の十七回忌を前に追悼連句碑を建てる。

連句碑前に敷石

逝きし友追想供養の連句碑は波静かなる豊浜に建つ 観一国語科連句会

夭折せし牧師の墓碑

年僅か30歳で昇天せし朔北の牧師還ることなし うたかたの世に立つ己が後背は堅き十字のあとと見えけむ 辞世

豊浜墓地公園「連句碑」

16年前急逝した連句仲間を追悼する連句碑[豊浜墓地公園]