先輩紹介「秋山範二」道元の研究者

   『道元の研究』 秋山範二著
 柞田町上出出身、彦根高等商業学校の教授であった秋山範二により書かれた道元禅師の研究書。
 昭和10年岩波書店から初版が刊行される。体系的な道元禅師研究の先駆をなす著書として名高い。検討範囲は道元禅師の伝記に始まり、各著作の内容にまで踏み込んだものである。
 同著の「序」を見る限り、秋山は道元禅師の教えの根本を「打坐即仏法の坐の宗教」であるとし、そして、日本哲学史上に於ける最も深い哲学思想を有するとしている。また、秋山は先行研究として村上専精『仏教統一論』と、「沙門道元」を収録した和辻哲郎『日本精神史研究』を挙げている。そして、田辺元の厚意を得て、出版することが出来たと謝辞を述べている。
  一般向けのラジオ放送で、道元禅師の思想を語ったことがあり、それが「正法眼蔵五夕談」である。その中に坐禅について次のように語っている。
 「坐禅の話でありますが、坐禅が足をくみ手を重ねて正身端坐するものである事は御承知の通りであります。処が坐禅といふと必ずそれにつきものゝ様に考へられるのが悟りといふ事であります。昔釈尊菩提樹下端坐六年の修業によつて悟りを開いたと云はれます。〈中略〉この様に坐禅に悟りはつきものゝ様に考へられるのでありますが、道元禅師自身も坐禅の結果身心脱落を得て大悟したといはれるのでありますから、坐禅と悟りとが結びつけて考へられるに何の不思議もないのであります。併しこの考へがどうかすると坐禅を誤つて考へさせる本となるのであります。坐禅は悟るための道具である。自分のほしいのは悟りといふものだ、悟りさへすれば坐禅に用はない、自分が今苦しんで坐禅をしてゐるのは暫く悟りを得るまでの事だ、といつた風に考へるのであります。坐禅の修行といふものを必要だが厄介なものを考へ、只管悟りを待ち望むのであります。処がこれが坐禅の病でありまして、道元禅師はかういふ風な坐禅を待悟禅と呼んで常にこれを戒めて居ります。」
  
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