戦争と詩
我々は戦時中、機銃掃射をよく受けた。グラマンと呼んでいた。P51のことは知らなかった。 今も区別がついていない。 地方都市、軍事施設が細かく狙われたのはグラマン機と呼んでいた小型機。 B29のような大型機は上空はるかに飛行雲を引いて飛んで行ったので…
我々は戦時中、機銃掃射をよく受けた。グラマンと呼んでいた。P51のことは知らなかった。 今も区別がついていない。 地方都市、軍事施設が細かく狙われたのはグラマン機と呼んでいた小型機。 B29のような大型機は上空はるかに飛行雲を引いて飛んで行ったので…
今日は8月9日、72回目の長崎原爆の日。愚かな国々よ、目覚めよ。
自由主義者 竹山道雄は一高(現在の東大教養部)のドイツ語教師であったが、それ以上に『ビルマの竪琴』の著者として知られている。この作品は、戦争で多くの教え子を失った竹山が鎮魂を願って書かれたものである。
沖縄の悲しみ怒り梯梧の花 戦終れどいや増す思火 雅舟 沖縄戦は1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われ、 組織的な戦闘は6月20日に開始、6月23日に終了した。
鹿児島・鹿屋
コール花の輪・みとよ 合唱心得メモ 渚 剣持雅澄 作詞 日本の渚百選に選ばれている有明浜。美しい私たちのふるさとの象徴。ここに立てば、自然に心が癒される永遠の渚。父母に育まれた子供たちが鳥のように飛び立ってゆくのに最もふさわしい渚。永遠の尊い命…
この川を一手に引き受け清浄化されたる君の遺されし舟 澄人
白鳥になりて拓魂還りしや
B29の飛来 空襲の日を思い出す 白鳥となって忠魂還りしや
この写真の中に亡父の遺影がある。
御製など今時誰が読むだろう軍人墓地の樹木の中に
浜口雄幸を象徴する二句 「長作閑人 楽太平」 長く閑人となって太平を楽しむ 南宋時代の詩人陸游の言 大平総理の方がはるかに文化人か。 「やせ馬に 山又山や 春霞」 この句のとおり 雄幸境涯句 浜口首相が昭和5年の正月に詠んだ句 ( アサヒクロニクル『週…
ヒトはなぜ戦争をするのか? ●アインシュタインとフロイトの往復書簡 ... ヒトはなぜ戦争をするのか...戦争とは別のはけ口を見つけてやればよいと言い、エロス(愛)と破壊衝動をキーワードに問題解決に挑む。 .... ただし、彼らを取り巻いていた当時の時代状…
軍人墓地まだ余地残して戦後七十年 戦死者はもう出ぬはずなのに
大陸に第二の故郷挫折して戦後内地は干拓をなす
高らかに起床喇叭は軍隊で 今戦死者の墓前の供華なり
校長も劇団の中に加わりぬ 啜り泣く声女生徒たちに
香川県送出満蒙開拓青少年義勇軍渡満中隊 昭和十六年からの国策で全国に募集、毎年青少年を義勇軍として満洲に送出。 第一次 第二次 他県との混成中隊であった。第三次から香川県単独中隊となる。 団名 訓練所 中隊名 渡満年月 渡満人員 入植地名 第三次 大…
満蒙開拓青少年義勇軍 各都道府県で選抜された青少年300名を標準として中隊に組織し、加藤完治が所長を務める茨城県内原の満蒙開拓青少年義勇軍訓練所(内原訓練所)で3ヵ月、武道及び体育と農作業の基礎訓練を受けた後に、満州国の現地訓練所にて3ヵ年の訓…
戦没の夫への挽歌詠みつづけ 戦後七十年白梅になる 雅子
青空に飛行機雲を仰ぐときB29の空襲憶ふ 空襲警報発令! 退避!!
戦後70年過ぎても禍根消ゆるなし
我が祖国遠く遥かに祈りつつ非業の死を遂げし戦時犠牲者 濡れ衣を着せられたれど従容と極刑に従ひし戦士ありけり
特攻死したる夫を偲びつつ戦争未亡人ヤマトナデシコ
立春の空よ 「空」とは戦時航空隊の「空」だったことを覚えているか
人類最悪アトミックボーンはどこどこに?
善通寺11師団陸軍実弾演習場 現在観音寺市大野原町五郷雲辺寺ヶ原 このような着弾位置を監察する監的所が三ヵ所あった。