義仲寺は芭蕉故に訪れる。


滋賀県大津市膳所にある義仲寺は、その名の通り近くの粟津で敗死した木曽義仲の墓のある小さな寺だが、芭蕉はこの寺にある無名庵に住んでいたこともある。境内に他の俳人の句碑も多く建てられているが、その中に、「木曽殿と 中合の 寒さかな 又玄(ゆうげん)」 という人口に膾炙された名句もある。
 貞享年間(1684~87)に大修理の記録があり、芭蕉がこの寺を初めて訪れたのは、奥の細道の旅から帰った元禄2年(1689)暮れ頃で、修理を終えた当寺で過ごした。その後も義仲を敬愛していた芭蕉度々滞在している。
 湖南には芭蕉が信頼する膳所重臣の本田臥高・菅沼曲水や曲水の伯父水田正秀などの多くの門人がいた。
 曲水は石山寺に近い国分山中にあった庵「幻住庵」を芭蕉に提供し、義仲寺境内には水田正秀によって「無名庵」が建てられた。
 そう広くはない境内には木曽義仲の宝篋印塔、その右隣には芭蕉の墓が並び、芭蕉や無名庵主らの20基近い句碑がある。境内奥に義仲寺鎮守の木曽八幡社や曲水、昭和再建に尽力した保田與重郎などの墓がある。
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