田植に七昔を偲ぶ

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 手植えを最後までしていたのは、我が家だった。自慢ではないが、田植機が買えず、田圃の面積も狭かったのである。昭和50年過ぎにはそれもやめてしまったのだが、今はただ亡母が近所と片寄りで田植時期に重労働をしたことを思い起こし、感慨にふけっているのである。自分の家のわずかばかりの田を植えてもらうために隣近所の多くの広い田を植えてあげねばならない。百姓経験のないひ弱な母だったので、それはそれは過労で倒れる寸前だった。ようやく植え終わると、一週間は寝込んで七転八倒したしたものだ。女手一つで、三人の子を育てるために苦労した戦中戦後のことどもを忘れることはできない。
 父は満蒙開拓青少年義勇軍を率いて、満洲の大地に第二の故郷を築かんと故国日本を、妻子を残して勇躍渡満していた時であった。あれから70年の歳月が流れ去った。幼少期に日本の混迷を垣間見、親世代の生活苦を偲びながら、やるかたない過去の苦汁と辛苦を少しでも思い遣っている昨今である。