観音寺市に縁のある俳人20人

  観音寺市につながる古今の俳人20人
山崎宗鑑(寛正六年~天文二二年) 
  俳諧の祖、一夜庵は終焉の地興昌寺
  かし夜着の袖をや霜に橋姫御  最古の俳句(本歌取り)
松尾芭蕉(正保元年~元禄七年)
  早苗とる手もとやむかし志のぶ摺  奥の細道旅の途次発句を早苗塚に
  旅人と我が名呼ばれん初時雨   市内三ヶ所に句碑あり。
  たふとかる涙やそめて散る紅葉  高尾観音に句碑あり。
各務支考(寛文五年~享保一六年)
  ありあけの浜や昼がほ咲きながら  讃岐への旅の途次立ち寄る。
与謝蕪村(享保元年~天明三年)
  宗鑑に葛水賜ふ大臣かな   大坂での空想句
小林一茶(宝暦一三年~文政一〇年)
  元日やさらに旅宿とおもほへず  伊予への旅の途次、専念寺に泊まって
⑥ 藤村今是(寛政九年~安政二年)
  夜あらしや枝移りしてほととぎす  早苗塚へ献句
⑦ 平田風石(文化一一年~明治一三年)  大野原開拓平田家一族
  白雲の下に雲おくしぐれかな  
⑧ 松浦坐石(文久二年~昭和一二年)
  「琴浦吟社」主宰  
  暁や水鶏の叩く夢の底  総持院境内の句碑
巌谷小波(明治三年~昭和八年)
  児童文学者 翻訳家
  この庵にみじか過ぎたる我日かな   一夜庵にも立ち寄って
  雲井まで届きし雁の叫びかな   一太郎ヤーイ取材に来て詠む
高浜虚子(明治七年~昭和三四年)
  「ホトトギス」主宰
  宗鑑の墓に花なき涼しさよ   一夜庵横の供養塔を
  春の波残し去りたる砂絵かな  有明浜に隣接する銭形を詠む
  春潮や海老はね上る岩の上  一ノ谷小学校校庭の句碑
河東碧梧桐(明治六年~昭和一二年)
  新傾向俳句     虚子の客観写生「ホトトギス」に反旗を掲げて 
  浜から戻りても松のかげふむ砂の白きに
荻原井泉水(明治一七年~昭和五一年)
  新傾向俳句「層雲」主宰
  松の奥にはしょうろの白きに松  有明浜松原の松露を詠む
山口誓子(明治三四年~平成六年)
  新興俳句 「天狼」主宰  
  佛足の法輪の上花楓  *興昌寺境内の仏足石に線刻されたもの
⑭ 阿波野青畝(明治三二年~平成四年)
  「かつらぎ」主宰
  おぼろなる汐に鼓の音ならむ  雅之郷に句碑あり。
⑮ 高野素十(明治二六年~昭和五一年)
  「芹」主宰
  宗鑑の墓六月は小町草  興昌寺に短冊として保存
⑯ 小野蒙古風(大正二年~昭和五五年)
  「草」主宰  高瀬町出身
  人参が咲いて故郷の山河碧し  加麻羅神社境内に九日あり。
⑰ 森 婆羅(明治一〇年~昭和四〇年)  高瀬町出身
  春月やとざして帰る一夜庵  
⑱ 新田巣州(明治三九年~平成一八年)  
  自由律俳句 「海紅」同人   
  少女尼にならないで 本尊様 古代微笑
⑲ 南 浩二(  )  大野原町中姫で開業医
  「雪解」同人  松山の「椿」にも所属
  村静か青田に雨の降るばかり  萩の丘登り坂に句碑
⑳ 中塚久恵 (健在)  
  「天狼」同人 句集『一夜庵』平成27年
  一夜庵誓子の座せし縁の冷