#軍事
観音寺海軍航空隊の母神山防空壕 (戦時遺跡として保存) ~ただし、中に入れないように閉鎖している~ 母神山ミニ四国88ヶ所の35番清滝寺(本尊薬師如来) 粟井町出晴防空壕(軍関係者退避用)
香川県旧三豊郡(現、観音寺市・三豊市)の戦時中の防空壕は、地面を掘って覆いをするのが多かった。これは竪穴式で、山間地帯では横穴を掘る場合が多かった。 観音寺海軍航空隊の防空壕は今も数穴遺されている。 詫間航空隊は後者であるが、観音寺は前者であ…
戦時中の負の遺産なり されどここに戦時悲惨を無言で訴ふ 戦後70年過ぎてなほ在る防空壕 草生したれど何かを訴ふ
【寛容の心】 【和解の力】 安倍総理の真珠湾慰霊の辞
真珠湾攻撃 日本時間1941年12月8日(アメリカにとっては1941年12月7日)に 起きた。日本海軍によるハワイ真珠湾への奇襲攻撃。この攻撃により太平洋戦争 (大東亜戦争)が勃発。 【四分の三世紀経つ真珠湾攻撃を今鮮明にせむ 雅人】 再び繰り返してはならな…
神国日本不沈のはずの大戦艦武蔵易々と撃沈されし 深海に眠る1000人の骸などどう足掻いても写す術なし
11年早く生まれし我ならばこの街角で灰となりけむ 古義軒
いつも供華 絶やさぬ家と絶やす家 戦後70年 墓守り大変 特攻の花散る里の墓碑に菊 神風特別攻撃隊戦死者 大西春雄の墓 明治より昭和に至る戦没者村のはずれに永久に眠れる
大西洋単独無着陸飛行 1927年5月20日5時52分(出発時の現地時刻)、リンドバーグはスピリットオブセントルイス号(ライアンNYP)でニューヨーク・ロングアイランドのルーズベルト飛行場を飛び立ち、5月21日22時21分(到着時の現地時刻)、パリのル・ブルジ…
昔々防火訓練せしごとく今時バケツリレーする所あるや?
祖父母たち大阪空襲で香川県の田舎に疎開せし土地を訪う (平和学習として)
粟井神社下粟井川辺にも戦時中【観音寺海軍航空隊】の兵舎があった。
【清隆さんが復員した時のこと】 菓子店のタガやんは、終戦の直前8月8日病気で亡くなった。9月初めに息子の清隆さんが復員するまで待てなかった。家族の者は、清隆さんが帰って母親がすでに死んだと知ったらショックを受けると思って(軍隊でひもじい思い…
戦後71年の夏の今
グラマンの思い出 先の大戦末期、米軍による空襲及び機銃掃射攻撃は、空襲より酷くはないものの軍事施設のみならず、 攻撃は田舎町の学校、民家、汽車も狙われた。 土佐沖の艦上より飛来すグラマンの機銃掃射の恐かりし戦中 讃岐雅人
戦没詩人【森川義信】 筑摩書房の高等学校用『現代文』教科書に載せられている。先輩をこの教科書で学習し、教えることに誇りを感じている。教科書準拠『演習国語Ⅱ』では、森川義信の代表作「勾配」が載せられている。 勾 配 森川義信 非望のきはみ 非望の…
終戦直後、昭和20年8月下旬、観音寺海軍飛行場に進駐軍ダグラス機が降り立ち、特攻練習機赤トンボも燃やされていった。布羽張りは燃え、鉄骨残骸が民家に残っている。
70年前の父上はるかなる歴史の領域に霞みたりけり 雅人
特攻練習機「赤トンボ」に寄せて 終戦直後火をかけ燃やせし赤トンボその残骸がこれだけ遺る 戦時中飛行場にて練習機赤トンボ残骸骨組み残る 全て皆木材で造ると言われたる赤トンボの骨組みやや訝しく見る 観音寺海軍航空隊その跡の民家に遺る負の遺産かも 特…
今も残る戦争の影 拭えども払えどもその亡霊に憑りつかれ 雅澄
戦時遺石「八紘一宇」 観音寺市大野原町下杉林 八紘一宇 (はっこういちう) 「世界を一つの家にする」を意味するスローガン。 第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。 『日本書紀』のなかにみえる大…
祖父は日露戦争で傷ついて帰り、父は満洲で帰らぬ人となり 僕は「クニヲマモレ」と軍国少年を強いられた戦争犠牲者の家。 今は平和に見えて、三度廻り来る世界の戦争の危機が迫る。 若者よ、勇んで戦場征くけなげな日本人になろうとするのか。
生徒会長のお礼の言葉がなかなかのものだった。 先生が言わせたものではなく、自ら聞き取ったことをまとめていた。
奪われたふるさと(家屋・田畑)……観音寺海軍航空隊(昭和19~20年) 戦時中、強制移転を命じられ、そこには特攻基地飛行場が急造された。 大日本帝国は、なんと非道で愚かなことをしたのであろう。
粟 島 香川県・詫間町粟島。 船のスクリュー形の島で、城山・阿島山・紫谷山の三島が陸繋されてできた島。 周囲約十七キロ。過疎の波はこの島も例外でなく、平成十四年八月現在、二二四戸三九四人。小学生はわずか五人である。須田港と粟島港の間には一日八…
①太平洋戦争時の日本・その周辺 ② 香川県三豊郡における海軍・陸軍訓練施設 ③観音寺海軍航空隊の飛行場 強制立退き移転350戸 中部中学校の横の軍川は飛行場の西境界 戦後70年(平成27年) 観音寺中部中学校の平和教育・郷土学習 【滑走路】 全長1500m、幅50m…
聞こえますか 爆音 B29の 戦後70年過ぎても 忘れえず 機影は見えなくとも 爆音はどこかから聞こえて 消えていく
高橋和巳少年の罹災 第1回大阪大空襲 (3月13日~14日) 1945年3月13日23時57分 - 14日3時25分の約3時間半にわたり行われ、B-29が274機襲来した。グアムからの第314航空団の43機が23時57分 ~ 14日1時にかけて大阪市上空に現れた。 アメリカ軍の照準点は、北区…
(1)太平洋戦争当時のもの 海軍の旗「旭日旗」16条 (2)強制移転 観音寺海軍航空隊飛行場設営のため立退き移転↓ (3)滑走路 全長1500m、幅50mの滑走路にコンクリートを敷く作業 (4) 防空壕(山壁利用、盛土、地下) 詫間の防空壕 (5)赤トンボ 観音寺海軍航空隊(柞…