高橋たか子の和巳観
主人は要するに自閉症の狂人であった。…主人は生身の手を他人にさし出すことはなかった。
主人は閉ざされた宇宙のなかで観念の積木遊びをしていたのだ。…積木をする主人の姿には、かわいそうな影がある。
私たちは十七年にわたる結婚生活のなかで、観念のキャッチボールをつづけてきた。
主人は、内面にむかって鬱々とむうつむいて、少年時代に見てしまった原風景ともいうべき地獄のイメージを凝視しながら、丹念に緻密に、虚構の物語を仕立てあげていく小説家であったのだ。
主人は、本質的に、内面性の小説家、宗教性の小説家なのである。
私は終始、主人の頭脳の力にこの上なもない尊敬の気持をもっていたのであって、この尊敬は一切をおおって余りあるものだった。