高橋たか子『高橋和巳の思い出』

高橋たか子著『高橋和巳の思い出』 構想社 1977年(昭和52年)刊 定家880円
 高橋和巳」が死去した1971年(昭和46年)の6年後、未亡人高橋たか子の著。
 表オビ 若き日の高橋和巳をえがく書き下ろし11編
         高橋文学は本質的に虚無僧の文学である
 裏オビに柴田翔が「謎としての思い出」と題して次のように書いている。
 すべての人間はひとつの謎である。ひとりの作家は更に深く激しい謎である。共に暮らす人間の理解さえ届かぬ深い謎の暗い渦から、彼の人物たちとその周囲に拡がる世界が次第に浮かび上がってくる。高橋和巳が死んでから五年たった。激しい政治参加者であった彼の核には、ひとつの謎があった。その謎を十七年間見すえつつ共に暮らした著者によるこの思い出は、決して謎への解答ではない。謎そのものの提出である。高橋和巳の読者すべてに対する激しい挑発である。
 著者は「高橋和巳」の文学を「虚無僧の文学」であると明言して、冒頭次のように書き始めている。
 
 結婚する前、(昭和二十八、九年の頃)、主人は虚無僧になりたいと言っていたことがある。ー(略)ーなぜこの人は虚無僧なぞになりたいのだろう。大体、虚無僧というものが理解できないところへもってきて、それになりたいという人が理解できない。-(略)-十七年間の結婚生活と、主人の死後五年を通過してきて、現在の私には、虚無僧になりたかった主人というものが非常によくわかるのである。主人は職業的に作家になる以前、作家になりたい作家になりたいと言っていた。自分こそは天賦の作家たるべき人間だと言っていた。そのことと虚無僧になりたいと言ったこととは、少しも矛盾しない。主人の文学は本質的に虚無僧の文学である。ー(略)-深い編笠ですっぽり顔をおおって、ただ一人で、一軒一軒の門前に立ち、そこに住む人には通じようもない思想を、悲哀の音色にのせて尺八で訴えて歩くーそうするのが一番ふさわしい人が人間・高橋和巳であり、また、それが高橋和巳文学の姿でもある。
 
 主人は大変美青年であった。(略)それは美貌と哲学的純粋さとでもいったものが融けあっている顔である。眼が澄んでいて、世間の一切から超然としているような気配がある。いま哲学的純粋さと言ったが、(略)或る抽象的な思索にのめり込んでいる人が、たまたま美貌である場合に、そういう顔が出来るのだろうと思う。
 
 いまから思えば、誇大妄想狂の自信家の男と、その男の才能を狂信する女と、二人三脚で走りだしたようなものだ。
 
 若い頃の主人の口から出た言葉のうち、いちばん頻度数の高いものは、「絶望」と「憂鬱」と「妄想」であった。
 
 何はともあれ『邪宗門』は主人の最高傑作である。
 
 主人は、本質的に、内面性の小説家、宗教性の小説家なのである。
 主人は、本質的に、政治的な小説家ではないのである。