「八紘一宇」この石碑、どう思いますか?

八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して使用し、縮約した語。八紘為宇(はっこういう)ともいう。大意は「天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」という意味である。戦時中は日本が世界を制覇するキャッチフレーズのように使用したいきさつ上、封印され除去されたはずの石碑がここに取り残されている。目障りになっているか、歴史の勉強になっていいのか、無視されているのか、この地域の住民に聞きたい。
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八荒】 国の八方の果て。国の隅々。八極。「恩沢八荒にあふれ」〈奥の細道
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 八紘一宇 「世界を一つの家にする」を意味する。第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。日本書紀のにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。