室の八島・日光

       素龍本『おくのほそ道』  今月の古典文学講座テキスト

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   室の八島(むろのやしま)
室(むろ)の八嶋(やしま)に詣(けい)す。
同行(どうぎょう)曽良(そら)がいわく、「この神(かみ)は木(こ)の花さくや姫(ひめ)の神(かみ)ともうして富士(ふじ)一躰(いったい)なり。
無戸室(うつむろ)に入(い)りて焼(や)きたまふちかひのみ中に、火火出見(ほほでみ)のみこと生れたまひしより室(むろ)の八嶋(やしま)ともうす。
また煙(けむり)を読習(よみならわ)しはべるもこの謂(いわれ)なり」。
はた、このしろといふ魚を禁(きん)ず。
縁記(えんぎ)のむね世(よ)に伝(つた)ふこともはべりし。

    仏五左衛門(ほとけござえもん)
卅日(みそか)、日光山(にっこうざん)の梺(ふもと)に泊(とま)る。
あるじのいいけるやう、「わが名を仏五左衛門(ほとけござえもん)といふ。よろず正直(しょうじき)をむねとするゆえに、人かくはもうしはべるまま、一夜(いちや)の草の枕(まくら)もうとけて休みたまへ」といふ。
いかなる仏(ほとけ)の濁世塵土(じょくせじんど)に示現(じげん)して、かかる桑門(そうもん)の乞食順礼(こつじきじゅんれい)ごときの人をたすけたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無智無分別(むちむふんべつ)にして、正直偏固(しょうじきへんこ)の者(もの)なり。
剛毅木訥(ごうきぼくとつ)の仁(じん)に近きたぐひ、気禀(きひん)の清質(せいしつ)もっとも尊(とうと)ぶべし。

  日光(にっこう)
卯月(うづき)朔日(ついたち)、御山(おやま)に詣拝(けいはい)す。
往昔(そのむかし)この御山(おやま)を二荒山(ふたらさん)と書きしを、空海大師(くうかいだいし)開基(かいき)の時、日光と改(あらた)めたまふ。
千歳未来(せんざいみらい)をさとりたまふにや。
今この御光(みひかり)一天(いってん)にかかやきて、恩沢八荒(おんたくはっこう)にあふれ、四民安堵(しみんあんど)の栖(すみか)穏(おだやか)なり。
猶(なお)憚(はばかり)多くて筆(ふで)をさし置(おき)ぬ。
   あらたうと 青葉若葉(あおばわかば)の 日の光