仏足跡歌

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                        仏足跡歌
 仏足石歌の歌体はすべて五・七・五・七・七・七の6句からなり、6句目はその前の5句目を言い換えたものが多く、この歌体は結句を繰り返して歌う上代歌謡に起源を持つと言われる。この歌体が見られるのは『古事記』『万葉集』『播磨国風土記』で、それぞれ1首ずつが見られる。
意富岐美能 美古能志婆加岐 夜布士麻理 斯麻理母登本斯 岐礼牟志婆加岐 夜気牟志婆加岐(古事記下、清寧天皇
大君の 御子の柴垣 八節(やふ)絞(じま)り 絞(しま)り廻(もとほ)し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣伊夜彦 神乃布本 今日良毛加 鹿乃伏良武 皮服著而 角附奈我良(万葉集巻16、3884 越中国歌四首之四)
弥彦 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ 皮衣着て 角つきながら宇都久志伎 乎米乃佐々波爾 阿良礼布理 志毛布留等毛 奈加礼曽祢 袁米乃佐々波(播磨国風土記 賀毛郡 小目野)
うつくしき 小目の小竹葉に 霰降り 霜降るとも な枯れそね 小目の小竹葉
 仏足石歌体は平安時代に入ると衰亡した。拾遺和歌集千載和歌集・躬恒集に「旋頭歌」として載せられている歌には仏足石歌体の形式を持つものがあるが、末の2句は並列になっていない。
増鏡そこなる影にむかひ居て見る時にこそ知らぬ翁に逢ふ心地すれ(拾遺和歌集、雑下、旋頭歌。躬恒集にも見える)
東路の八重の霞を分け来ても君にあはねばなほ隔てたる心地こそすれ(千載和歌集、雑歌下、旋頭歌、源仲正)
東路の野島が崎のはま風にわがひも結ひしいもが顔のみおもかげに見ゆ(千載和歌集、雑歌下、旋頭歌、左京大夫顕輔)

 ここ観音寺市の興昌寺境内の仏足跡石とは関係がない。
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