『連歌と中世文芸』(角川書店刊)の紹介

 金子金治郎博士の古稀記念論集編集委員会編の論文集。昭和52年初版発行。
古稀に際して、知友門弟23名の広島大学を中心とする中世文学研究者が共同執筆したのが本書である。
 金子金治郎先生の生没は、明治40年(1907)2月2日 ~平成11年(1999)5月31日。享年92歳。日本の中世国文学者。長年、広島大教授。退職後、私大教授。連歌史研究の第一人者。『連歌師宗祇の実像』 昭和43年『菟玖波集の研究』で学士院賞(恩賜賞)受賞で広く知られることになる。
 本書の主要論文は資料『菅原神社蔵 発句聞書 永正十二(1515)乙亥十二月日』を紹介、解題したものである。この古写本は、滋賀県野洲町に鎮座する神社に伝わるもの。この文献を翻刻・解題したものである。冒頭の発句を挙げれば、
  法しらぬ人をものせて渡はや  仙澄(この聞書の筆者、宗匠)
  白たへの真砂のくまか浜千とり 印孝   山水は月に雨きく軒端かな 宗長 
                 宗長(1448~1532)室町後期の連歌師、宗祇の高弟。 
 本日は恩師金子金治郎先生の二十五回忌である。俳諧連歌師宗鑑(?~1540頃)の終焉の地にあって、連歌史研究の一助とさせていただきたい。 在学中は怠惰であって、先生の薫陶を受けた内には入らない。遅ればせながら今は俳諧連歌に関心を深く持って宗鑑研究を志し、老いの身を鞭打っている。                                                                                                  
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(参考) 金子金治郎著『連歌師と紀行』(桜楓社)
 この先生に連歌の授業を受けて以来、半世紀を閲した。依然連歌師個々人の研究に勤しんでおられる。その息の長さは驚嘆に値する。本書も前半は連歌師概説でこれまでの研究を総括紹介している。連歌師の生活では、家庭生活の私的な細事にこだわっているところがおもしろい。妻子をめぐる苦悩といった、作家の内面にまで踏み込んでいて、貴重な生活記録になっている。次のような連歌付合にそれが
現れている。
 こゝろたけくも世をいとふかな/みどり子のしたふをだにもふりすてゝ(順覚法師)
 いのちのあはれ又なみだあり/捨し子を後にみるこそかなしけれ(法印行助)
ここには西行説話のごとき妻子を捨てて出家している身の上が明かされているかもしれない。
 本書の特徴は、後半の「連歌師の紀行」である。宗祇の旅行観は「旅の空はいつとなく、世のことはりの物うきながら、世々のふるごとなどにも思ひなぐさめ侍るを」に現れている。どうにもならない人生の苦悩を知るのも旅、名所・古跡に慰められるのも、また旅である。旅の連歌には、旅の哀れが感じられる。
  旅のあはれは宿ごとにあり/わすれじな山路の夕べ浦の秋(救済法師)
  池に鳴くひとりの鴛を身に知りて/旅ね悲しき冬の山里(心敬僧都