カメラのない生活

      映像に頼らない生活
 すぐカメラに収めないと気がすまない悪癖。カメラが故障すると、こたえる。修理にやって直って来るまでに2週間かかる。それが待てないで新品を買った。大事に使えばいいのに、懲りもせず丁寧に扱わず、再びレンズエラーになって写せなくなった。何回かやり直していると、これまでは機嫌を直してくれていたが、今回は一切応じてくれない。こんな扱いをする人は知~らないと言われている気がする。それでもう、視覚・カメラに頼る表現活動から離別しようかという気に今はなっている。
 自分自身言葉・文学だけで生きてきたし、その義務があるのだが、その職務から解放されると、安易に視覚映像・カメラに依存する生活が続いている。本来自分は書道・絵画等に才能があったかもしれないが、その道を選ばなかった。それが特殊なもので、現実生活には縁が薄く、経済的でもないないと判断したこともある。英語・数学の主要教科に神経を擦り減らすのも耐え難かったし、国語・文学が進むべき深奥・真実・唯一の道であると信じ、携わってきたのである。
 ことば一筋の道に再び返ることができるかどうか自信はないが、カメラは直らず返ってこない方がいいとも考えている。返ってきたら、再び自分は堕落してしまう。