奥の細道での拾いもの

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  芭蕉は「奥の細道」の旅で、松島から平泉へ向かうつもりであったのに、石巻湊にそれて、そのおかげで思いがけず大伴家持が詠んだ金華山に出くわす。
「終(つひ)に道ふみたかへて石の巻といふ湊に出ㇲこかね花咲(く)とよみて奉りたる金花山海上に見渡ㇱ数百の廻船入江につとひ…」
 「こかね花咲く」の出典は『万葉集』、次の歌である。
 天皇(すめろき)の御代栄えむと東なる陸奥山に金(くがね)花咲く (巻18ー4097)
この歌を知っていて、これを見るために訪れたのではなく、「怪我の功名」として
目にしたと思われる。聖武天皇の時、東大寺の大仏建造に符合してここで金が発掘されたことを祝福している。芭蕉はこの島を海上はるかに見渡し、万葉の往時を偲んでいるのである。ただし、作者大伴家持のことまでは思いを馳せてはいないと思われる。