日本最古の俳句はこれ→
一夜庵の傍らに 宗鑑の直筆句碑や利休梅 雅舟
俳句の始まり、宗鑑の俳句
貸し夜着の 袖をや霜に 橋姫御 宗鑑
この俳句には、本歌があった。
片敷きの 袖をや霜に 重ぬらん
月に夜がるゝ 宇治の橋姫 法印幸清
ここで「橋姫」が詠み継がれていることに注目しなければなるまい。京都宇治川に架かる橋のたもとに橋姫という橋を守る女神がいたという伝説があること、それは遊女とみなす受け取り方もあることを知らねばなるまい。宗鑑の俳諧発句では「貸し夜着」を前提とするので、女神ではなく遊女にしぼられてきそうである。
この本歌は『新古今和歌集』の冬歌で「橋上ノ霜といふことをよみ侍りける」を詞書としている。
宗鑑直筆の極のある短冊を故池田米太郎氏所蔵)宗鑑がこの短歌を書写している間に、これを俳句にまとめようとしたことが想定される。「かし夜ぎの」だけが宗鑑の創作で、「袖をや霜に」「橋姫」は書体も内容も酷似している。俳句は発句の独立というのが俳諧史の常識だが、私はここに【短歌の俳句化】という重要な形式変化を見て取っている。
「吾が恋ふる妹は逢はさず玉つ浦に衣片敷き独りかも寝む」(巻9ー1692)がある。
独り寝をかこつのに、古来の常套語に「衣(袖)片敷き」という表現があったということが分かる。共寝の喜びではなく、独り寝の淋しさが歌のモチーフになり、繰り返し歌い続けられることが分かってくる。
剣持雅澄の空想画