万葉百花7「紫草」


     万葉の百花7「紫草」
  茜指す紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る  (巻1-20・額田王)   紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも  (巻1-21・大海人皇子
  
     「紫草」は絶滅危惧種
 奈良時代から江戸時代末期まで栽培が行われてきた。明治時代以降は合成染料の登場により商業的価値を失い、ムラサキ自体も絶滅危惧種レッドデータブックIBにランクされるまでになってしまった。そのため、現在も熱心な愛好家たちが栽培を試みている。現在では中国から近縁種が輸入され、ムラサキとして流通しているが、ムラサキとの交雑により純正種を脅かすことになっている。
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託馬野に生ふる紫草衣に染めいまだ着ずして色に出でにけり
                          (巻3-395 笠女郎) 大伴家持に贈った相聞歌
     三豊市詫間町近隣公園の歌碑に刻まれている。この歌の託馬野の「託馬」を詫間」とみなす歌人香川進説によるものである。傍らの説明碑には
「歌の意味は、託馬野に生えている紫草を衣に染めてまだ着ないでいるのに        人目に立ってしまった。歌にある託馬とはどこだろう。これをツクマと読んで近江の    筑摩とする説は古いが、託馬をツクマと読む古例はなく、託馬は当然タクマである。素直に今の詫間とすべきである」