記録「的」?

  ●素朴な疑問…「~的」とは? 「~の」でいいのか。

 厳密には「」と「の」の意味範囲はいくぶん違うが、日本でも中国でも、「」=「の」と広く認識されているようだ。

 [接尾語]       『大辞泉』の解説による。
名詞に付いて、形容動詞の語幹をつくる。
㋐そのような性質をもったものの意を表す。「文学―表現」「詩―発想」
㋑それについての、その方面にかかわる、などの意を表す。「教育―見地」「政治―発言」「科学―方法」
㋒そのようなようすの、それらしい、などの意を表す。「大陸―風土」「平和―解決」「徹底―追求」
人名や人を表す語(また、その一部)に付いて、親しみや軽蔑(けいべつ)の気持ちを込めて、その人を呼ぶのに用いる。「取―(=下級の力士)」「泥―(=泥棒)」「幸―(=幸次郎)」
[補説]1は、中国語の「の」の意味に当たる助辞の使い方にならって、明治時代の翻訳文のなかで、英語の‐ticなどの形容詞的な語の訳語に「的」を当てはめたことに始まる。
名詞以外にも、「彼は『犬も歩けば』的な慣用句を多用する癖がある」「彼の上から物申す的な態度が気になる」のように文や句を受ける用法もある。
また最近、「わたし的には~」「ぼく的には~」という若い人が増えて批判の対象となった。これは「わたしは~」「ぼくは~」と直截に言うのを避けた言い方である。「わたしとしては~」「ぼくとしては~」とぼかした表現で、「個人的には~」「将来的には~」などと同じ用法と見てよい。

 やや批判【的】にコメントすれば、これを普段に日常会話に使うと、その話者が安っぽく見られる。自分【的】に言わせてもらうと、その人の言語感覚を疑わざるをえない。忌まわしい過去【的】思い出として、管理職が「~的な点」「~等々」を常用して、部下に突っ込まれないもの言いがあった。言い逃れ、言いきらない、揚げ足を取られない(巧みな?)表現であった。
 東北大雨被害報道では、心の痛む「記録的」が頻用されている。
スポーツなどで使われると、それはいい意味で「レコード」になることではある。