剣持日録抄(平成23年)

    雅澄日記(平成二十三年)
 二月九日(水)晴
六時過ぎ留守電あり、直重さん死去のこと。通夜葬儀のことなど報せてきている。享年八十一歳。温美姉六十歳死没を思えば二十年ほど鰥夫で過ごしたことになる。兄のいない自分にとっては義兄としての距離感はあったものの、知的なことをいろいろ教えてくれたものだ。
 三月二十三日(水)晴
島比呂志「燈明」詩碑作り直し。現場で写真撮り、持ち帰る。誰かに見てほしいが、誰一人気がつかない。柞田の最高の文化財と思う。梟の声におびえながら燈明を灯しに小宮を回った詩。フクロウの声が待たれる。夜は柞田公民館で社福の会、ボランティア部会長という自分の場違いを感じる。
 四月二十七日(水)雨後曇
自転車で金毘羅・善通寺五十キロ走る。大麻山の麓を無駄に迂回したものだ。金毘羅裏参道の句碑歌碑撮影が主目的。三七七号線を真っ直ぐ行けばよかったものを。帰り善通寺から麻越え、合羽持たず豊中から雨に濡れて、くたくた。道端にへたり込んで動けなくなる。
 六月十九日(日)曇後雨
従兄の子大久保正士医師と歩き遍路を共にする。
山口県柳井市で開業医。走り遍路を続けてここまで。観音寺若松屋旅館から本山寺まで、五十分ほど、いろいろ病気のこと、生活習慣病のこと、地域の人とのことなど現役の医師ならではのこと語ってくれて参考になった。
 八月一日(木)晴
高瀬万葉の会では戦争の資料で前半一時間、気合いを入れた講義をした。森弘子さんは涙を拭っていたように見えた。臨月の女性が一人、今日だけと言って聴講してくれた。誰に勧められてやって来たのかは知らない。賢母になるに違いない。「お子さんのお名前知らせて下さいね」 
 十月十五日(土)晴
琴弾八幡宮の秋季例大祭で午後五時からの放生会を取材撮影。琵琶の首と呼ばれる祓川口で鯉を放ってやる儀式である。初めに憑代という潔斎した少年が生きた鯉を放つ。次に浜田県知事、総代以下何人かが同じことをする。初めて知った祭礼行事。この様子をブログで紹介する。
 十月二十四日(月)曇
小豆島句碑めぐり。琴塚へ俳人米倉明治、沙羅女、ミチルが死んでいたとは。銚子渓へ、池田亀山八幡宮、二面誓願寺大蘇鉄、土庄港二十四の瞳の像前では五十年目に先曽良栄に再会。帰宅後ブログに入力。ゆっくり余情に浸っている。小豆島も歴史のかなたに霞んでなお夢。