万葉「秋の歌」
【万葉・秋の歌】
「秋の野の花を詠む二首」と題して山上憶良の歌
秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 其の一(巻八ー一五三七)
萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花 其の二(巻八ー一五三八)
春の七草が七草粥に入れる若菜で食用に供されるのに対し、秋の七草は観賞用である。七草と書くのが正しいのであろう。
筆頭に挙げられている萩。数の上でも集中百四十一首で一番多い。萩の字は国字で、秋草の代表としての名付け方であろう。万葉仮名では「芽子」と書いたものが多い。
古い株から芽を出すので「生え芽」「ハギ」となったと言われている。
「秋の野の花を詠む二首」と題して山上憶良の歌
秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 其の一(巻八ー一五三七)
萩の花尾花葛花瞿麦の花女郎花また藤袴朝貌の花 其の二(巻八ー一五三八)
春の七草が七草粥に入れる若菜で食用に供されるのに対し、秋の七草は観賞用である。七草と書くのが正しいのであろう。
筆頭に挙げられている萩。数の上でも集中百四十一首で一番多い。萩の字は国字で、秋草の代表としての名付け方であろう。万葉仮名では「芽子」と書いたものが多い。
古い株から芽を出すので「生え芽」「ハギ」となったと言われている。
見まく欲りわが待ち恋ひし秋萩は枝もしみみに花咲きにけり(巻十ー二一二四)
「枝もしみみ」が萩の花の特徴をよく表している。枝いっぱいに繁く咲いているというのである。萩自体を単独に歌ったものと、萩に寄せて想いを歌ったものと相半ばしている。
七種最後の朝貌は、いわゆる朝顔でなく、キキョウを指すというのが定説である。現在の朝顔は平安時代に薬用として中国から渡来したもので、この時代の鑑賞用としては考えられない。
言に出でて言はばゆゆしみ朝皃のほには咲き出ぬ恋もするかも(巻十ー二二七五)
ころげまわって焦がれ死にしようとも、人目につくように顔色には出すまい、アサガホの花のようには、という意。ひそかに咲く花ではなく、目立つように咲く花、その姿形、色合いからして人目を惹きつける清麗さを持った花キキョウ。品位のある花ではある。
尾花とある歌十八首。薄とある歌十七首。尾花は薄の穂に出たもので、花薄とも言う。
人皆は萩を秋といふよし我は尾花が末を秋とは言はむ (巻十ー二一一〇)
皆の人は萩を秋の第一と言うようだが、それはそうでもいい、私は尾花の咲いた穂先の美しさを秋の代表と言いたい。作者は尾花の方を秋の代表として賞美している。
秋萩の花野の薄穂には出でず我が恋ひ渡る隠り妻はも (巻十ー二二八五)
秋萩の咲いている野中の薄ではないが、外には表さずに独り心の中で恋ひ続けている隠し妻よ。作者は秘められた恋を楽しんで花に寄せた秋相聞の歌。
ススキは漢名「芒」。普通「薄」を慣用している。これは茎葉が密生して株から叢をなして出ているのを見立てた名で、上代人が造った和字である。万葉仮名では、須々伎、為酢寸など一字一音で書かれている。
オバナは万葉仮名でも尾花と書かれることが多く、花の形が獣の尾に似ているところから名付けられた。この植物の正式名称ではない。
カヤと詠まれた歌も十首あり、ススキ等を屋根に葺く用途での名称である。万葉仮名ではほとんど「草」。
思草。オモヒグサを詠んだ歌はこの集に一首しかない。
道の辺の尾花がしたの思ひ草今さらになぞ物か念はむ (巻十ー二二七〇)
今ナンバンギセル(南蛮煙管)という花を指すのが定説になっている。外形がキセルの雁頭に似てもの思いをしている人の頭に見えるところから名付けられたと言われる。
いつぞや奈良春日神社の万葉植物園からこの花種を送ってもらったが、咲かなかった。昨年知人からもらい、
わが庭内のススキの株下に播いているが、はたしてこの秋花を咲かしてくれるかどうか。箸の先に花粉のようなものをなすり付け、株の間に少し埋めておいたのだが、この寄生植物の生命力に期待するばかりである。琉球辺ではサトウキビ畑に寄生して大敵となるそうだが、本土では優雅な万葉花として珍重する。
モミジ。これは植物名ではない。また秋の花の中には入らないが「黄葉」を詠んだ歌が七十余首もあるので、ここに付記しておきたい。今言う「紅葉」はカエデであり、万葉では「鶏冠木」すなわち蛙の手のようなイロハカエデの仲間を指す。
「毛美知」は一般に木の葉が紅葉または黄葉することで、どんな木であってもよい。秋の景観として、春の桜と対比される美の象徴と言えよう。
天智天皇が藤原鎌足を召して、春の花と秋の紅葉との美しさを群臣に競わしめた時、額田王の作った長歌が巻一ー十六にある。「秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてそしのふ」と手に取り持って賞することができることで秋の紅葉の方がいいと言っている。
紅葉と書くようになったのは、平安以後のことで、万葉時代はもっぱら黄葉である。更に、関東以北の地には紅葉木が多いのに比べ、関西地方は黄葉系の落葉樹が多いことでも黄葉の方が使われたと言えるかもしれない。
最後に、他の万葉秋の植物たちを列挙しておく。
さはあららぎ・うけら・いちし・からあゐ・あし・をぎ・こも・あきのか・いね・ひえ・あは・きみ・うも・やますげ・やまあゐ・しだくさ・ひかげ・にこぐさ・むぐら・たまばはき・かづのき・はじ・かへるで・こなら・つるばみ・かしは・くり・はり・かつら・つき・まゆみ・さねかづら。
「枝もしみみ」が萩の花の特徴をよく表している。枝いっぱいに繁く咲いているというのである。萩自体を単独に歌ったものと、萩に寄せて想いを歌ったものと相半ばしている。
七種最後の朝貌は、いわゆる朝顔でなく、キキョウを指すというのが定説である。現在の朝顔は平安時代に薬用として中国から渡来したもので、この時代の鑑賞用としては考えられない。
言に出でて言はばゆゆしみ朝皃のほには咲き出ぬ恋もするかも(巻十ー二二七五)
ころげまわって焦がれ死にしようとも、人目につくように顔色には出すまい、アサガホの花のようには、という意。ひそかに咲く花ではなく、目立つように咲く花、その姿形、色合いからして人目を惹きつける清麗さを持った花キキョウ。品位のある花ではある。
尾花とある歌十八首。薄とある歌十七首。尾花は薄の穂に出たもので、花薄とも言う。
人皆は萩を秋といふよし我は尾花が末を秋とは言はむ (巻十ー二一一〇)
皆の人は萩を秋の第一と言うようだが、それはそうでもいい、私は尾花の咲いた穂先の美しさを秋の代表と言いたい。作者は尾花の方を秋の代表として賞美している。
秋萩の花野の薄穂には出でず我が恋ひ渡る隠り妻はも (巻十ー二二八五)
秋萩の咲いている野中の薄ではないが、外には表さずに独り心の中で恋ひ続けている隠し妻よ。作者は秘められた恋を楽しんで花に寄せた秋相聞の歌。
ススキは漢名「芒」。普通「薄」を慣用している。これは茎葉が密生して株から叢をなして出ているのを見立てた名で、上代人が造った和字である。万葉仮名では、須々伎、為酢寸など一字一音で書かれている。
オバナは万葉仮名でも尾花と書かれることが多く、花の形が獣の尾に似ているところから名付けられた。この植物の正式名称ではない。
カヤと詠まれた歌も十首あり、ススキ等を屋根に葺く用途での名称である。万葉仮名ではほとんど「草」。
思草。オモヒグサを詠んだ歌はこの集に一首しかない。
道の辺の尾花がしたの思ひ草今さらになぞ物か念はむ (巻十ー二二七〇)
今ナンバンギセル(南蛮煙管)という花を指すのが定説になっている。外形がキセルの雁頭に似てもの思いをしている人の頭に見えるところから名付けられたと言われる。
いつぞや奈良春日神社の万葉植物園からこの花種を送ってもらったが、咲かなかった。昨年知人からもらい、
わが庭内のススキの株下に播いているが、はたしてこの秋花を咲かしてくれるかどうか。箸の先に花粉のようなものをなすり付け、株の間に少し埋めておいたのだが、この寄生植物の生命力に期待するばかりである。琉球辺ではサトウキビ畑に寄生して大敵となるそうだが、本土では優雅な万葉花として珍重する。
モミジ。これは植物名ではない。また秋の花の中には入らないが「黄葉」を詠んだ歌が七十余首もあるので、ここに付記しておきたい。今言う「紅葉」はカエデであり、万葉では「鶏冠木」すなわち蛙の手のようなイロハカエデの仲間を指す。
「毛美知」は一般に木の葉が紅葉または黄葉することで、どんな木であってもよい。秋の景観として、春の桜と対比される美の象徴と言えよう。
天智天皇が藤原鎌足を召して、春の花と秋の紅葉との美しさを群臣に競わしめた時、額田王の作った長歌が巻一ー十六にある。「秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてそしのふ」と手に取り持って賞することができることで秋の紅葉の方がいいと言っている。
紅葉と書くようになったのは、平安以後のことで、万葉時代はもっぱら黄葉である。更に、関東以北の地には紅葉木が多いのに比べ、関西地方は黄葉系の落葉樹が多いことでも黄葉の方が使われたと言えるかもしれない。
最後に、他の万葉秋の植物たちを列挙しておく。
さはあららぎ・うけら・いちし・からあゐ・あし・をぎ・こも・あきのか・いね・ひえ・あは・きみ・うも・やますげ・やまあゐ・しだくさ・ひかげ・にこぐさ・むぐら・たまばはき・かづのき・はじ・かへるで・こなら・つるばみ・かしは・くり・はり・かつら・つき・まゆみ・さねかづら。