満洲から届いた父の遺言状

 昭和17年、満蒙開拓青少年義勇軍香川県送出野口中隊長が
 内地に住む私(当時4歳)宛てに書かれた遺言状(3メートルの巻紙)
 冒頭と末尾は下記のようになっている。
   俳聖芭蕉臨終の時 弟子より辞世の句と望まれ
   「吾生前の句 皆辞世の句ならざるはなし」と
   自分も常に右の事を念頭に置いてゐた
   故に殊更遺言めかしきものはない
   生涯の言行之皆遺言と思はれたし
   吾今國の為に死す 死して君親にそむかず
   (後略)

 旧満州の青少年義勇軍の中隊長として、香川県内16~17歳の若者220名を引き連れての大陸進出だつた。
 さて、芭蕉の辞世観の典拠をこの度、初めて確かめることができた。
芭蕉翁行状記」の伝えるところによれば「平生則辞世也。何事ぞ此説にあらんや」とて臨終の折に一句もなかったという。確かに、その時を賢明に生きた芭蕉らしい。
「花屋日記」にも同様のことが書かれている。芭蕉は苦しい息の中から「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。吾生涯に言ひ捨てし句々、一句として辞世ならざるはなし。もし、我が辞世は如何にと問ふ人あらば、この年日頃、いひすておきし句、いずれも辞世なりと申したまはれかし」と語ったという。
  父はあの大陸満洲の地において、芭蕉を思い、幼児の私を想い、この遺言状
を書いたのだから、70年間ずっと身近に置いて読み返している。
  今、自分はいつ死んでもいいと思っている。毎日辞世の言葉を吐き続けている。

 
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