学者ではなく、芸者になれ。

 
 「文学者」ということばはあるが、「文芸者」ということばはない。
 ところが、「文」を接頭語「(文)学者」「(文)芸者」のようにみなす言葉遊びをしてみると、「学者」も「芸者」もある。世情(封建的固定観念)では身分の高低を感じるかもしれない。然り而して、この二者の比較論はナンセンスにちがいない。
 言わんとする我が真意は、身分意識では全くなく、「文学・文芸論序説」の序である。
「文学」が学問の領域に重なるものとして、「文芸」が芸術の領域に属するものとみるのは、理の当然である。
 ありえない、ありえなかった「芭蕉の讃岐行」を虚構創作するに当り、大前提として「学問」としてではなく「芸門」(コンナコトバハナイ)として讃岐紀行を志す。芭蕉は私だ。
世の学者先生に顰蹙を買うことになる男芸者【はせをのさぬき行】がいよいよ師走の今宵から始まる。
      そぞろ紙 筆ペン招く 師走かな   雅舟