志のある市
貸し夜着の袖をや霜に橋姫御
早苗とる手もとやむかし志のぶ摺
元日やさらに旅宿とおもほへず
④松浦坐石句碑 八幡町総持院境内(昭和一四年)
暁や水鶏の叩く夢の底
⑤石井朝太郎歌碑 琴弾山天狗山頂(昭和八年)
動くとも見えぬ白帆の連なりて朝静かなり瀬戸の内海
燧灘波路の末の雲はれて伊予の高根に雪ふれるみゆ
緑濃き豊かな島やかかる地を故郷にもたば幸せならん
白帆如鷺入蒼溟 水愈碧兮松愈青
通寶千年客無拾 砂浜歴々見銭型
非望のきはみ 非望のいのち…(十八行)
⑩小野蒙古風句碑 流岡町加麻良神社(昭和六〇年)
人参が咲いて故郷の山河碧し
雲井まで届きし雁の叫びかな
旅人と己が名呼ばれんはつ時雨
たふとかる涙やそめて散る黄葉
寂しさやすぐに野松の枝の形
白雲の下に雲おくしぐれかな
村静か青田に雨の降るばかり
有盛の裔の血を引く故郷を我は誇りて六十年経ぬ
得病更知旧友情 明常思長夜之愁
君は永遠の今に生き 現職総理として死す
理想を求めて倦まず 斃れて後已まざりき
⑳合田俊二歌碑 豊浜町墓地公園( 年)
うたかたの世に立つ己が後背は
堅き十字のあとと見えけむ
本来「碑」は「石文(石に刻まれた文)」であって、「紙碑(紙に書かれた石文)」は矛盾する用語とも言える。
「紙碑」とは、実在的なものではなく、文芸的表現として用いられているとみるべきである。
一般に通用する「文学碑」(句碑・歌碑・詩碑・詞碑等)とは違って、「紙碑」とは「蔭で存在を主張する文芸像」と言える。
観音寺市粟井町本庄出身。早稲田大学中退。ビルマミートキーナにて戦病死。親友鮎川信夫らと詩誌「荒地」創刊、鮎川の代表作で森川を詠んだ「死んだ男」は高校の教科書に採られた。死後鮎川信夫によって『森川義信詩集』が出版された。 大正七年生~昭和一七年没 享年二五歳
勾 配
非望のきはみ
非望のいのち
はげしく一つのものに向かって
誰がこの階段をおりていったのか
時空をこえて屹立する地平をのぞんで
そこに立てば
かきむしるように悲風はつんざき
季節はすでに終わりであった
たかだかと欲望の精神に
はたして時は
噴水や花を象眼し
光彩の地平をもちあげたか
清純なものばかりを打ちくだいて
なにゆゑにここまで来たのか
だがみよ
きびしく勾配に根をささへ
ふとした流れの凹みから雑草のかげから
いくつもの道ははじまってゐるのだ
わずか十八行の短詩であるが、ままならぬ青春の心の傾斜がはるかな地平と交叉して、「非望のきはみ」にはじまる道を見出す痛ましさが感動を呼ぶ。昭和十四年(二十二歳)の作。この詩は観音寺市粟井町本庄の生家前に詩碑として刻まれている。