奥の細道 田植歌

   『奥の細道』  田植歌
 とかくして越行まゝに、あぶくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる。かげ沼と云所を行に、今日は空曇て物影うつらず。すか川の駅に等窮といふものを尋て、四、五日とゞめらる。先「白河の関いかにこえつるや」と問。「長途のくるしみ、心身つかれ、且は風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断て、はかばかしう思ひめぐらさず。
  風流の初やおくの田植うた★
 無下にこえんもさすがに」と語れば、脇・第三とつゞけて三巻となしぬ。
 (注)

 元禄2年(1689年)4月、須賀川の相良等窮亭で
 巻かれた歌仙の表三句は次のとおりである。
    風流の初やおくの田植歌        翁
     覆盆子を折まうけ草           等窮 
    水せきて昼寝の石やなをすらん    曽良
 
 ★この田植歌がどんなものであったか、今更知れる者はない。早乙女たちが声をそろえて歌う労働歌であったであろうが…

  
 
 
 
 
 





水せきて昼寝の石やなをすらん
   曾良