高橋和巳の「体験」「経験」

高橋和巳の評論に「わが体験」「経験について」よく似たものがある。
「我が体験」…「潮」昭和46年新年号、『人間にとって』(昭和46年刊) 『全集第12巻』
中学時代、大阪空襲で焼け出され、四国の田舎に疎開、農村動員(勤労奉仕)を体験した。戦災者で、農事については何も知らず、不安で逃げ出したくなった。五月で麦刈り、麦扱ぎもままならなかった。溜池の決壊で田畑に埋もれた泥をスコップで取り除く作業も手伝った。敗戦の翌年、闇市が繁賑する大阪に戻ると、農村の生活は一齣の幕間劇であったような気がする。
「経験について」… 「波」昭和45年11月号「人間にとって」 『全集第11巻』
 戦争の末期、田舎へ避難する過程のことを忘れていたことをてふと思い出す。宇高連絡船のデッキで、満洲から引揚げの途中の女学生に出会う。その時、少女の清楚さに目を奪われた断片的なろね些細な記憶も<失われた時>の全体のありようを暗示している。病床に蘇った記憶の断片が思いがけなく記憶のよみがえりとして復権を要求する。