塔和子『いのちと愛の詩集』

塔和子いのちと愛の詩集  角川学芸出版

イメージ 1
十三歳でハンセン病を発病、十四歳で小さな島の療養所に隔離された苛酷な現実も、塔和子の豊かな命の泉を涸らすことはできなかった。人間とは、生きるとは、命とは、愛とは…自らの生の根源を見つめ、闇の中から希望の光を見出し問いかける、次代を生きる若い人々へ託すメッセージ。高見順賞を受賞し、映画「風の舞―闇を拓く光の詩―」で紹介された詩人が贈る、いのちと愛の言葉の花束。
イメージ 2
 
イメージ 3
イメージ 4
   第29回(1999年)高見順賞受賞「塔和子全詩集(第三巻)」の紹介
 全詩集第1巻~第3巻合わせると、千編を超えると思われる膨大な詩。第29回高見順賞(1999年)受賞されている。短歌に限界を感じ、詩の創作に転向する(1957年、28歳)この時が、おそらく詩人塔和子の誕生の時であったろう。
 個別の詩集第19集『今日という木を』を生き抜きたいという情念で一生詩を書き続けている。巻末「後記」に次の一節があるので、紹介しておきたい。
 人はみな、それぞれに自分の花をもつていて、木が花を咲かせるように、一生という木に、瞬間しゅんかんの花を咲かせるのです。その花が貧しかろうと、豊かだろうと、それはそれぞれの才能に磨きをかける努力の結果が、現れてくるに過ぎない。
 ここに我々は何を感じ取るべきか、と言えば、自分が生涯頑張り続けて「その時どきの花を精一杯咲かせ続けてきた自信と誇りに満ちていることである。貧しく、弱々しい花ではなく、豊かで、たくましい花、そんな花を咲かせてきたという自負心に満ちている。そうでなければ、これだけの底にエネルギッシュな、燃えたぎるような、情念の詩がは書き続けられるはずはない。普通の人では出来ないことであろう。
 ただ、花が咲くわけではなく、拠って立つ「大地」があるからだ。第18詩集の巻末「後記」にも、この大地に感謝する言葉がある。
  母なる土のないところからは、なにも始まりません。大地の上のひとつである私という生きものも、喜怒哀楽すべての感情に揺さぶられて、こんなにも豊かに複雑に生きてきました。 そして、その証である詩を残してきました…
 ここでも「豊かに」生きて来られたのは、「詩」を残してきたと言い切っている。すなわち、、人生を豊饒に生きえたのは【詩】を作ることであったと断言している、この《潔さ》を鋭く読み取らねばならないと思う。ハンセン病を耐え抜いた心深き詩人である。
 私はいのちの川の
 永遠の流れの中を
 流れていて…
イメージ 5