高橋和巳  〈志〉ある文学

    〈志〉ある文学            高橋和巳
 東京オリンピックの10000メートル競争に大変印象的な場面があった。名前は忘れたが,ある小国の選手が,他のすべての選手がゴールに入った後,ひとあし遅れて走ってきた。観客はしんがりながら最後まで競技を捨てなかった彼の健闘ぶりに拍手し,その拍手に迎えられて彼もゴールに入った。競技はそのとき終わったと思われた。
 だが選手は依然ゴールをつきぬけて走っており,観客があっけにとられている中を,なお懸命に走り続けた。彼は完全に一周遅れをとっていたのだ。失笑が起こり,やがてそれは以前にも増す拍手となって,彼が一周し終わるまで鳴りやまなかった。
 私も微笑しながらテレビでその孤軍奮闘を見ていたが,やっと彼が一周の遅れを取り戻し終着点に入り,観客もやれやれと思ったとき,さらに彼は走ったのである。一周ではなく二周遅れていたのだ。爆笑が起こり,観客もやや拍子抜けした中を,折からの夕日を受けて彼は走った。そしてそのとき,押さえがたい滑稽感とともに,私はこの人は私の友だと思ったものだった。
 いつの世にも人は幸福であり続けることはできない以上,志を貫くことには,ある滑稽感のまつわることがある。第三者の目には,人と人の力量を比べあう競技はすでに終わっており,世間の関心は別な競技に移っているにもかかわらず,なお初志貫徹,ひとりで走り続けねばならぬこともある。観衆というものは,熱しやすく冷めやすい。時代の変化が急テンポとなれば,なおさらのことである。たとえば,最近,野間宏が20年を費やして『青年の環』を完成したと聞いたとき,私はトラックを二周遅れて独走する運動選手のことを思い出した。その志や善し,と思ったのである。
 どんな思想も最初は教えられえる形で心の中に入ってくる。どんな観念もはじめはちょっとした思いつきにすぎない。そして,それが衒学的な知識や思いつきに終わるか,一つの志となるかは,一にかかって持続するか否かにある。そしてその持続の間に,自己の行為や生活や存在のあり方と,どこまで深くかかわらせるか,あるいは乾燥した観念にどれだけ情念を投入するかにかかっている。
詩経』大序に「詩は志の之(ゆ)く所なり。心に在りては志と為り、言に発すれば詩となる」という言葉がある。当時、文学の主要ジャンルは詩であったから、詩で代表させただけであって、広く文学全体が志をいうものと解釈してよく、私もそう考えている。詩そして文学は、志の表明なのである。
 私にとってごく当然と思われるこの考えはしかし、必ずしも、わが国には通用しない。日本の文人は〈思想〉というものを、一種面はゆいもの、なんとなく非文学的なものと意識している。なぜだろう。
 多分それはこういうことではないかと思う。わが国の近代化を推進した思想というものは、キリスト教ヒューマニズムにせよ、進化論にせよ、社会主義にせよ、すべて風土を異にする異国から輸入されたものだった。思想はまず少数の知的上層階級に学ばれ、それが上からある部分は制度として生かされ、あるものは解説を付されて啓発的に下へ拡散させられる。反抗の思想であるマルクス主義の受容形態もこの例外ではない。だから人々は思想といえば、ドイツ観念論なり、マルクス主義なりを思い浮かべてしまい、一種冷ややかでごつごつしたもの、権威主義的なものと思いこんでしまう。
 そして日本近代文学の主流は、社会を指導する法科系エリートに対する反感を内包しており、俗物というのは、日本ではブルジョアのことよりも官僚的出世主義者のことであり、文人たちはむしろ「不遇」の側に身をおこうとした。いきおい狭義の自己の文学から排除しようということが起った。それはある意味では当然であって、生活そのものに密着しない思想は、とりわけ私小説的発想の文脈にのらず、日本の自然にはぐくまれた文人の美意識と乖離する。
 あらゆるところに二重構造が生じ「愛」の観念や思想は思春期にヨーロッパの文学から学び、やや長じて男女の間のむずかしさを悟りはじめる年齢になると「情事」描いた日本の文学にのめり込むといったぐあいである。
 私は私小説に思想がないなどとは思わない。そのすぐれたものはむしろ官学的エリートが見落とした、より根深い思想に立脚していると考える。ただ勢いあまって、自分の表現していることが、思想の表明ではないと、少なからぬ文人が思い込んでしまったところに、日本の近代文学の不幸がある。
 心にあれば志、言葉に表現されれば文学。これはすべての文人が心に自負とともに秘めていてよい基本的な思いであろう。そして、 一見無色な,それ自体何の価値でもないような「持続」が,各々の志を豊饒化し,開花させるための唯一の道なのである。                        『高橋和巳全集』第14巻 評論 (1978.7.15)