2012-12-15 石清水八幡宮の文学 古典文学 #短歌 仁和寺にある法師年寄るまで、石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとり、徒歩よりまうでけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。 さて、かたへの人にあひて、「年ごろ思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。 すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。 『徒然草』五十二段 途中の末社 本殿(本宮) 「仁和寺にある法師」は、ここを参らねばならなかった。 嬉しともなかなかなれば岩清水神ぞ知るらむ思ふ心は 平忠盛 『玉葉集』