真間の手児奈

              真間の手児奈
 手児奈(てこな)とは、下総国勝鹿(葛飾)の真間(現在の千葉県市川市)に奈良時代以前に住んでいたとされる女性の名前。「手古奈」、「手児名」などとも表記する。
 一説によると、手児奈は舒明天皇の時代の国造の娘で、近隣の国へ嫁いだが、勝鹿の国府と嫁ぎ先の国との間に争いが起こった為に逆恨みされ、苦難の末、再び真間へ戻った。しかし、嫁ぎ先より帰った運命を恥じて実家に戻れぬままとなり、我が子を育ててつつ静かに暮らした。だが、男達は手児奈を巡り再び争いを起こし、これを厭って真間の入り江に入水したと伝えられている。古くから語られていた伝説が、この地に国府がおかれた後、都にも伝播し、詩人たちの想像力をかきたてた。
万葉集』には高橋虫麻呂山部赤人らによって詠われたこの伝説に関する歌が複数見られる。現在は手児奈霊神堂に祀られている。また、亀井院には手児奈が水汲みをしていたとされる井戸が現存している。
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    『万葉集』には高橋虫麿の詠んだ長短歌がある。

    勝鹿の真間娘子を詠める歌一首、また短歌
  鶏が鳴く 東の国に 古に ありけることと
  今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿の 真間の手兒名が
  麻衣に 青衿着け 直さ麻を 裳には織り着て
  髪だにも 掻きは梳らず 履をだに はかず歩けど
  錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや
  望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば
  夏虫の 火に入るがごと 水門入りに 舟榜ぐごとく
  行きかがひ 人の言ふ時 幾許も 生けらじものを
  何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く湊の
  奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを
  昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも(1807)
    反歌
  勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒名し思ほゆ(1808)