「除夜の鐘」二句の評釈


      ☆ おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘 ☆
                                山口青邨
 つとに著名な句だ。数々の歳時記に収録されてきた。時ならぬ深夜の鐘の音に、びっくりした犬が吠えている。いつまでも、吠えたてている。その犬を指して、作者は「おろかなる」と言ったわけだが、しかし、この「おろかなる犬」は単純に「馬鹿な犬め」ということではないだろう。ただ、犬は人間世界の事情を解していないだけのことなのであって、彼にとっては吠えるほうが、むしろ自然の行為なのだ。そんなことは百も承知で、あえて作者が「おろか」と言っているのは、むしろ犬の「おろか」を羨む気持ちがあるからである。「おろかなる犬」なのだから、人間のように百八つの煩悩などはありえない。ありえないから、「除夜の鐘」などはどうでもいいのだし、はじめから理解の外で生きていられる。だから、素朴に驚いて吠えているだけだ。ひるがえって、人間はなんと面倒な生き方をしていることか。犬のごとくに「おろか」ではないにしても、犬よりももっと「おろか」に生きているという認識が、除夜の鐘に吠える犬に触発されて出てきたというところ…。静かに句を三読すれば、句の奥のほうから、除夜の鐘の音とともに犬の吠える声が聞こえてくる。このときにほとんどの読者は、句の「おろかなる犬」にこそ好感を抱くだろう。(清水哲男


        ☆ 百八はちと多すぎる除夜の鐘 ☆
                                暉峻康隆
 作者、暉峻(てるおか)康隆は江戸文学の泰斗で、とくに西鶴研究の第一人者です。1980年代にはNHKお達者文芸で短歌・俳句・川柳の撰者として、その洒脱な話術で小鳩くるみと共演して視聴者を楽しませました。私は、大学を卒業してからも社会人講座で先生の話芸を楽しみながら芭蕉と蕪村と一茶を学びました。その時、「蕪村も生前は句集を出さなかったのだから俺も出さない」とおっしゃっていたことを覚えています。掲句は先生の死後、早稲田大学の教え子たちが遺稿一千余枚を編集した『暉峻康隆の季語辞典』(2002)に所載された句です。先生は句集は出しませんでしたが、季語と例句解説の最後に「八十八叟の私も一句」と締めます。この季語辞典で、鹿児島県志布志町の寺に生まれた暉峻は、百八の鐘のルーツを探っています。以下、要旨を記します。江戸中期の禅宗用語辞典『禅林象器箋』(1741)に「仏寺朝暮ノ百八鐘、百八煩悩ノ睡ヲ醒ス」とあり、寺の百八の鐘は毎日の朝暮の鐘のことだった。それをサボッテ、除夜だけ百八鐘を撞くようになったのは江戸後期からである。「百八のかね算用や寝られぬ夜」(古川柳)は、宝暦年間(1751~1764)の作で、除夜の鐘の句の初見である。句意は、西鶴の『世間胸算用』にもあるように、大晦日の夜更けは借金取りが押し寄せるので安眠できない庶民の実情。つぎに、「どう聞いてみても恋なし除夜の鐘」(乙二・1823没)。辞典をそのまま引用すると、「この人は歳時記にとらわれない実情実感派であったようだ。人間の煩悩の中でもっとも重い性愛を筆頭とする百八煩悩を浄めるための除夜の鐘なのだ、と思いながら聞くのだから、色気がないと思うのはもっともだ」。さて、「除夜鐘・百八鐘」が季語として定着したのは意外に新しく、改造社版『俳句歳時記』(1933)と翌年刊、虚子の『新歳時記』からで、その虚子に「町と共に衰へし寺や除夜の鐘」がある。だから、一般的な歳時記の例句も近現代なんですね。掲句に戻ります。私の記憶では、掲句は先生が1988年(八十歳)頃の朝日新聞夕刊でインタビューされていた時に引用されていて、当時の仕事仲間もこれを読んで、「年をとるとこんな心境になるのかねぇ」と云っていました。自身は辞典の中で「実感であるが、煩悩を根こそぎ清算されると、いくら因業爺でも来る年が淋しい。」と書き、「新しき煩悩いずこ除夜の鐘」で締めています。米寿を過ぎて、この前向き。(小笠原高志)
 ★以上二句の評釈に「無帽」同人の小生脱帽。ここに敢えて再掲載推奨させていただきました。(剣持雅舟)

    【百八煩悩】
  仏教語。人間の心身を悩まし迷わせる煩悩。数の多いことを百八と示したもの。 一説に、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに悩みが六つあって三十六、これを過去・現在・未来にそれぞれ配して合計百八とする。  (6×6×6=108)