太宰治の「津軽…深浦」

            北前船が立ち寄った津軽 深浦
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  太宰治の「津軽 五 西海岸」より
「… 駅からまつすぐに一本路をとほつて、町のはづれに、円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は、国宝に指定せられてゐるといふ。私は、それにおまゐりして、もうこれで、この深浦から引上げようかと思つた。完成されてゐる町は、また旅人に、わびしい感じを与へるものだ。私は海浜に降りて、岩に腰をかけ、どうしようかと大いに迷つた。まだ日は高い。東京の草屋の子供の事など、ふと思つた。なるべく思ひ出さないやうにしてゐるのだが、心の空虚の隙《すき》をねらつて、ひよいと子供の面影が胸に飛び込む。私は立ち上つて町の郵便局へ行き、葉書を一枚買つて、東京の留守宅へ短いたよりを認めた。…」
  太宰治は「この寺の薬師堂は、国宝に指定せられてゐるといふ」と書いているが、現在は、「薬師堂内厨子」が重要文化財となっている。円覚寺は大同二丁亥年(807)、征夷大将軍坂上田村麻呂蝦夷東征のときに、厩戸皇子作の十一面観世音菩薩を安置し、観音堂を建立したのに始まると伝えられているそうだ。
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