小豆島讃歌

この新聞記事を十四日朝見つけた勝久は、一瞬血の気が引いていくのを覚えた。
 須永紘子は紛れもなくあの須永紘子に違いない  しばらく会っていないが、初めての教え子で、因縁浅からぬものでつながっていた。それなのに、ある日突然こんな形で死を知らされるとは  。
 この日の英語の授業は三時間午前中にしておいて、午後は年休を取り、勝久は高速艇で島に渡った。三十余年前この島を去ってから、何度か懐古の思いで島に渡ったことはあるが、いずれも甘い感傷の旅と言うべきものだった
 今度はそんな甘いものではなかった。事故死した教え子を悼む苦衷の弔問なのだ。告別式が今日かどうかも確かめず、とにかく早く行って死顔を見たい気がしてならなかった。どんな死に方をしたのか、それも知りたいところなのだが。
 彼女の家には何度か行ったことがあるので迷わずに行ける。だが、そう易々と直行して彼女の死を目の当たりにするのが恐ろしい気がした。どこかで心を鎮めて置いて行こうと、勝久は四海行のバスにも乗らず、港から本町の方へしばらく歩いて行った。帰って行く中学生に聞いてみれば、分かるような気もした。永代橋を渡った所でちょうど二人連れの男子中学生に会った。
「君たちの学校の須永先生、亡くなったと聞いているんだが、いつお葬式か知ってますか」
「あ、明日とか言っとりました」
 二人はちょっと顔を見合わせたが、しごく無表情に教えてくれた。やっぱりそうだったのかと、彼は少し落ち着くとともに、弔問者として構えてかかる意識が根強くなって来るのだった。それはそれでよかった。特別な関係であったなどと思われたくないし、淡々と、しかも心からなる悔みの一言も言えばそれでいいのかもしれない。
 島と言っても、本町には島銀座と称する商店街があり、そこから枝分かれして、島バスは五つの路線を持つ。その一つが本島西側を回る四海行である。本家は網元だが、彼女の父親は漁師であった。中学時代に病死したそうだが、勝久は知らない。母親は数年前まで生きていたらしい。現在の家族は船員をしている夫と、高校生の一人息子である。彼女は養子取りであり、そこが実家なのである。
 勝久は彼女の人生にどれほども関わることなく、教え子の一人として心の底に留めてきた女性である。そう思っている方が無難で、万事差し障りがない。あれこれの関係でないことを示すことのできる、ありがたい措辞と思っている。更にまた、教え子などということばは不遜だと禁じるわけにはいかない、と心ひそかに思っている。英訳では、フォーマル・ピューピル(以前の生徒)らしいが、そんな味のないことばはいくら英語の教師とはいえ使えない。
 ともあれ、紘子は教え子の一人である。
「私、紘子と言います。よろしく」
「どんな字を書くの」
「八紘一宇の紘」
大東亜戦争最中に生まれたものな」
「先生のお名前は、勝久でしたね」
「よく知ってるね。そう、僕も武運長久、必勝祈願をこめているんだろう。まあ、お互いに同じジェネレーションの人間になるかなあ」
 赴任当初の若き子弟の会話であった。
 それ以来三十年が過ぎ、このたび不慮の事故で愛弟子を失おうとは。愛弟子が不穏当ならば、同胞とでも言いたいところである。それも粘着力があるなら、〝同業者〟とでもしておくのがよいのだろうか。なるほど、これはいい呼称だな、と急に感心もしてみた。時に密会の場を見られ、不倫の関係かとみなされても、同業者の打ち合わせだと言いのがれるのも巧妙な手なのかもしれない。
   (中略)               
 うがった見方があるものだと、彼は語り手の膝に結んだ手に視線を落としたまま聞き入っていた。
「解脱なんてそう易々できるもんじゃありませんからね」
 彼女に同調するように言った。
「そうなの。川を思い切って跳び越えるような気持ちでないと、だめなんですね」
 それを跳び越えて見せてくれたのが彼女であると言うことができた。
「初めは空々しいと思っていた大師の御名を唱えることも、最も大切な信心なのですね」
「なるほど。僕みたいな口先だけの称名では聞き届けてもらえないと言うわけですか」
「そんなことはないと思います。手を合わせ南無大師・・・と称えるだけでも願いは聞き届けてもらえると思いますよ。おすがりし、救いを求める庶民の心を踏みにじったりはしないはずです」
「僕はとても欲が深い人間なので、あれもかなえてもらおう、これもお願いしようと思う、それはいけないんでしょうね」
 春尼はにんまりした。焦点はそこだというふうに見えた。
「いけないことはないと思います。すべてを大きく温かく受けとめてくれ、どんなに欲深い凡夫にも優しいまなざしを注いでくれると思います。すべてを投げ捨てること、現身の人間には至難なことでしょうし、せめて御名を称え、合掌することで心は安らぐと思います」
「それならいいんですが、やっぱり僕など自我が強すぎて、慈悲にあずかろうとはしないところがあるので、遍路はしても似非遍路でしょうね」
 自嘲的なもの言いだった。春尼は聞き流していたが、はっきりした口調でこう言った。
「三十年も前のことを掘り起こしたって、どうなるものでもないし、若気の過ちとして悔いるほどの悪業を働いたわけではないでしょう。先生の言う美しい誤解じゃありませんか。このことばは今になって初めて実感されることばですのに、あのときすでに先生は先取りして使っていましたね。ちょっとあのことばは早く使い過ぎましたね。先が見え過ぎて、わざと思わせぶりな演技をしていたのと違いますか。いや、いや、これはちょっと口が過ぎましたね」
「いえ、けっこうなんです。そんなにはっきり言われた方が僕には薬になるんです」
 とは言いながらも、ちくりちくり刺される。かつての冴子の積年の恨みが変形して、ことばの端々ににじみ出ているようだった。
「狭苦しい所より境内の樹蔭に行きますか」
 誘われて見晴らしのいい外の真柏の樹下に腰を下ろした。
「ここからは見えにくいですが、あの山の向こうに私一度嫁したことがあるんです。こんなこと自分から言い出すの、初めてです。過去は語らない、問わないのが私どもの掟みたいなものですのにね、でもいいですよね」
 もちろんいいですよと言わんばかりに、彼は大きくうなずいて見せた。
「脳病院で知り合った人と結婚したの。子供も出来たわ・・・」
 そこまで言って、声が詰まってきた。
「語れば長くなるものね。先生とは別の人生歩んだものな。先生のことは何も聞いてないんだけれど、私の人生って、初めから狂っていたのです。狂っている人は狂っていると自分で分かるんです。それだから病気じゃないと言ってくれるんだけど、やっぱり世間の人様からすれば、変だったんですね。それに親戚や取り巻き連中が、私たちを別れさせてしまったんです。光太郎の智恵子は狂っても一筋の愛に包まれて清く生きられたけれど、私はずいぶん淋しかったわ」
「旦那さんには大事にしてもらったでしょう」
「そう。大事にされたわ。愛し合っていたものな。二人とも躁鬱が繰り返す中で、熱の塊みたいなもので結ばれ、すぐ子供が生まれたの。先生、ご存知?狂った者の子供への熱愛。今は人ごとみたいに思い起こせるんだけれど、当時はもう偏執的に愛撫を続けていたんです。今でもここにわが子がいれば、そうするかもしれないわ」
 筋立てて話すところが少しも狂人とは思えないものの、話す口元とか手の震えなどには、不気味な、後遺症のようなものが見受けられた。
「今のままの方が、やっぱりいいんですかね」
 彼は消極的なことしか言えなくなっていた。
「本当に先生はいい時に来てくれたわ。私のなんとか立ち直った時に…」
 心配顔の彼をかえって慰めているかのように、優しい視線をじっと注いでいた。
 麓の方から鈴の音がして青葉越しにお遍路さんの白装束が見えてきた。島の風景は今日も優しい。