アマリリス俳句


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       アマリリスの俳句
      
     アマリリス男の伏目たのしめり         正木ゆう子

 季語は「アマリリス」で夏。熱帯の百合とでも言うべき華やかさと気品がある。私がすぐに思い出すのは、小沢信男の「四方に告ぐここにわれありアマリリス」で、まことに言い得て妙。その気品であたりを払うような存在感が、しかと刻まれている。擬人化するとすれば、男はたいていこの句に近い感覚で扱う花だろう。ひるがえって、掲句は女性の感覚でつかまえたアマリリスだ。小沢句の花も正木句のそれも、ともに昂然といわば面を上げているところは同じだ。が、いちばんの違いは、小沢句が花を自分に擬していないのに対して、掲句は直裁的に述べてはいないけれど、最終的にはみずからに擬している点である。当たり前と言えば当たり前で、男が自分を花に例えるなどめったにない。せいぜいが散り急ぐ桜花くらいか。ただ当たり前ではあっても、掲句の展開にはどきりとさせられた。花に擬すとはいっても、男は「立てば芍薬坐れば牡丹」などと、いつも外側からの擬人化であるのに比べて、女性はどうやら花の内側に入り込んでしまうようなのである。擬人化した主体が花化している。入り込んでいるので、ちょっと蓮っ葉な「男の伏目たのしめり」という物言いも嫌みにならない。すべてを当人が言っているのではなくて、花が言っているのでもあるからだ。常日ごろ「伏目」がちの私としては、この句を知ったときから、女性をアマリリスの精だと思うことにしている。そう思ったほうが、気が楽になる。半分はホントで、半分はウソだけど……。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男