大久保良の父祖「門脇家」
大久保良とは、明治・大正・昭和に生きた女。八人の子を育て、二人の息子を戦死させ、波乱の人生を八十二歳で閉じた。優しくも気丈であった祖母良の父祖に関して知れることをここに略記しておきたい。
【門脇家系図】
神田方面及び五郷井関方面に落ち延びた。
桓武平氏、平忠盛の流にして、「尊卑文脈」に「平忠盛の子ね教盛門脇中納言云々」と見えたり。『源平盛衰記』にも「門脇中納言云々」と有り。又、「納富家系図」には「元は平氏、桓武天皇十二世、門脇平宰相教盛の次男、石見守教満、生国駿河西川云々と有り。門脇家は是に始まり、土佐の『南路志』に「土佐国安芸郡柳瀬邑に門脇左衛門と云ふ陰士あり、昔源平の乱に門脇殿密かにこの地に潜居し給ふ。その末裔なりとぞ」と有り。
推測するに、今より四百年前の天正年間、長曽我部元親の四国全土を征服した時、之に従ひ讃岐に入り、財田川沿ひに居を構へ、当時隆盛を極めてゐた總本寺(現在の宗運寺)を中心に豪族生活を続けたり。後分割した一族が二百年前、当地に移住、新田開発に従事して、現在に至る。