宗鑑の風景

 拙著『俳諧の風景』のタイトルは初案「宗鑑の風景」であったが、「西行の風景」で食傷気味だったので、「俳諧の風景」とした。
 乱世に明るく奔放自在に生きた宗鑑。俳諧の祖として文学的意義がもっと認めらるべきであろう。
     滋賀県草津市と終焉地観音寺市は、姉妹都市の縁組をしている。
イメージ 1
イメージ 2
イメージ 3
 山崎に庵「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。現在大阪府島本町山崎に「宗鑑井戸」 「宗鑑旧居跡」が残されている。大永3年(1523年)ごろ山崎の地を去り、享禄元年(1528 年)に讃岐国香川県観音寺市)の興昌寺に庵「一夜庵」を結びそこで生涯を終えた。 
イメージ 4
    手前の山が一夜庵のある興昌寺山 (我が家の二階から北を望む)